お祭り中のスコータイで宿探しの巻
タイ到着3日目、今日は、バンコクから遺跡の観光をするため、スコータイへ向かった。
オッキーと菊ちゃんは、バンコクのインド大使館に寄った後、僕らを追いかけてくる事になった。
菊ちゃんは、インドビザの取得、オッキーは、もともと日本でビザを取得していたが、インド滞在中に切れることが判明し、ビザの期間を延長するためだ。
僕らは、バンコクのカオサン通りの外れのバス停を朝10時に出発し1時間後、バンコク北バスターミナルに到着。
そこから7時間の長距離バスに乗って移動した。
スコータイのバスターミナルに到着したのは、19時半であった。
相変わらず、トゥクトゥクやバイクタクシーの客引きがワラワラ集まって来た。
その客引きのひとりに『雨上がり決死隊』の宮迫そっくりな奴がいる。
オラが冗談で、「おお~宮迫」と叫ぶと、「イエース。ミヤザコ!」とこっちに近寄って来た。
何と、彼の名前は、『ミヤザコ』だった。
旅行者の人達があまりにも、ミヤサコ、ミヤサコと呼ぶものだからそういうあだ名にしているのだろうか?
「楽しそうだし、この兄ちゃんのトゥクトゥクで宿まで行こうか?」オラはその場のノリで言ってみたが、マッキーに否定された。
旅にだんだん慣れてきた僕らは、タクシー代を浮かせるため、ターミナルに着いたら、まず先に宿に電話して予約を取り、迎えに来てもらう事にしていたからだ。
宿を見るだけでも、迎えに来てもらえると言われたので、残念だがミヤザコは断ることにした。
しかし実際部屋を見せてもらうと、けっこう値段が高かった。貧乏バックパッカーの僕らには、値段が合わないので悪いが、別の宿を探しに行った。
ところが、どの宿も安い部屋は空きが無いという。
どうもこの時期(11月の満月の日)、スコータイではお祭りがあるので、なかなか空てる宿が見つからない。
早く宿を見つけないとどんどん時間が遅くなる。
オラは焦る気持ちが先走り、夜ご飯の事をすっかり忘れていた。
みんなのお腹の減りは限界に達していてフラフラ状態。
仕方がないので先に食堂で食事をとる事にした。
料理が出てくるのを待っている間に、ぷる君が、オラに一緒に宿の交渉に行こうと言って来た。
そのおかげで、みんなが食事をしている間にPravetNakhonロードにある『ガーデンハウス』一人90バーツ(約270円)の宿をゲットできた。
さすが、博士タイプのぷる君は一人で旅してきただけあって交渉が上手だし、頼もしいやつだなぁとオラは思った。
チェックインしたのは22時であった……。
ちょうどそのころ、携帯のメールで誘導していたオッキーと菊ちゃんも、無事宿に到着することができた。
しかし、大使館の休みの日に行ってしまったので、残念ながらインドビザはゲットできなかったようだ。
翌朝、宿近くの表通りから出ている『ソンテウ』というトゥクトゥクを大型にした様な乗り物を拾って僕らはスコータイ王朝の遺跡公園へ向かった。
オラはソンテウの後ろに摑まりながら、現地民になった気分で田舎の風を感じていた。
そして約30分、スコータイ遺跡のある歴史公園に到着した。
スコータイ歴史公園の敷地内はとても広く、歩いてまわるのはとても無理そうなので公園の入り口にあるレンタサイクルのお店で自転車を借りる事にした。
ここでは自転車を借りるのは定番なのか、たくさんの種類の自転車がずらりと並べてあった。
オラはその中で、すかさず子供用の三輪車にまたぎこんだ。
しかし、菊ちゃんも同じく、別の三輪車に手をかけていた。
こやつ、オラと同じでみんなのウケを狙おうとしているな!!
オラと菊ちゃんは、お互いライバル心を燃やし、目をバチバチさせた……。
「あんたら、そんなしょうもない争いしてんとさっさと準備しーよ!?」罵声が飛んできたので、オラと菊ちゃんは普通のママチャリに乗り換える事にした。
「最近のみんなは、なんか僕らに冷たくなってきたよなぁ」とふたりでしょんぼりしながら肩を抱き合い慰めあった。
そして僕らは、歴史公園内を自転車で走り回った。
釣鐘型の仏塔やたくさんの仏像を見てまわることとなった。
オラがおおっと思ったのは、ワットシーチムという巨大な仏像である。
奈良の大仏の頭に角を生やして真っ白く塗った感じの仏像であった。
そして公園内では、スコータイナイトというお祭りがあるので、夜に向けてお寺のライトアップや打ち上げ花火の準備など、関係者達が忙しくしていた。
まわりでは、民族衣装を身にまとった綺麗な女の人達が音楽に合わせながら踊り、公園内を練り歩いていた。
公園の広場では、特設売り場が設けられていた。
その中には竹の中に餅のような物を入れて網で焼いている店、鳥肉を焼いている店、マッサージの店、民芸品や洋服店などの店が所狭しと並んでいた。
その特設売り場の一角で、Tシャツに自分達の写真をプリントしてくれるお店を発見した。
オラは、前々から世界一周メンバーだけのオリジナルTシャツを作りたいと思っていたので、みんなでこの機会に作ることにしないかと提案した。
「出来上がったTシャツには、みんなと離れる時にお互いにメッセージを書き合うことにしよう♪」オラはワクワクしながらみんなに言った。
「仲間との思い出を証として残せるのは凄くいいねぇ」みんなも喜んで賛成してくれた。
「じゃぁ、夕陽が沈む前に急いで遺跡の前で集合写真を撮ろうよ!」
「そうだ! いい撮影ポイントがある♪」あけちゃんは、菊ちゃんの腕を引っ張り「みんなついてきて!!」と言わんばかりに、人混みをかき分け走りだした。
その後を僕らもすぐに追いかけた。
あけちゃんが提案した撮影ポイントは、『ワット・スラ・シー』という遺跡前の大きな池を挟んだ広場からのポイントであった。
特設売り場の人混みの中を掻き分け、外に飛び出し、広場の前に出てきた僕ら。
しかし真っ赤に燃える太陽はすでにお寺の裏に隠れようとしていた。
池の水面に夕陽の光が当たり、キラキラととても眩しかった。
そのキラキラに向かって僕らは全速力で走った。
早く撮影しないと日が沈んでしまう……。
サンダル履きの菊ちゃんが何度もつまずきそうになりながらも必死で走っていた。
僕らは急いで写真を撮ろうとするが、みんなのポーズがなかなか決まらず、結局、写真を撮り終わった時にはすでに夕陽は地平線のかなたに消えてしまっていた。
しかし、みんなが一生懸命走ってきて撮った写真の表情は達成感に満ちた表情であり、僕らにとってはじゅうぶん満足であった。
その写真をお店のパソコンからTシャツにプリントしてもらい、とうとう僕らのオリジナルTシャツは完成した。
そして僕らは喜び合った。
さて辺りが真っ暗になり、いよいよスコータイナイトの始まりだ。
お寺がライトアップされ、幻想的な音楽が流れてきた。いつの間にやら辺りにはたくさんの人が集まっていた。
そのうちお寺のまわりに火柱が上がり、打ち上げ花火もドンドンと音を立ててお寺の上空を明るくさせた。
お寺の前には特設ステージが設けられ、なにやらスコータイの歴史に纏わるショーが始まった。
人混みが酷く、まともに近くで見ることはできなかったが、雰囲気は存分に味わうことができた。
しかし、日本のお寺にはライトアップや多少の演出がされることはあるけど、神を敬う建物にここまでド派手な演出はしないなぁ。
お寺にレーザー光線がビュンビュン当てられ、派手な演出がされるなんて……。
海外だからできることなのか、日本には無い不思議な感覚だなぁと思った。
約70万m2という広大な敷地に広がるスコータイ歴史公園には、遺跡として確認されているものだけで200ヶ所以上。1991年にはユネスコの世界遺産に登録された。
農民の収穫に恩恵の深い、水の精霊に感謝を捧げ、人間の罪や汚れを水に流して魂を清めるお祭り。
派手な山車が通りに並び、ロウソクや線香や花で美しく飾られた灯篭を、満月の夜に川に流す。
華やかに飾られた灯篭が満月の光で水面に映る光景はまさに幻想的である。
僕らはたまたまこの時期にタイを観光していたことで、このお祭りを経験することができた。
マルチとは有効期限内なら何回でも入国できるビザである。
バンコクのインド大使館で取得可能。
カオサン通りからインド大使館に行くバスは、11番の白い連結したバスである。
タイの土日・祝日は休館になるので注意。
カオサン通りから北バスターミナルへは159番の市内直行バスで向かう。
バンコクの北バスターミナルからスコータイまでは約7時間の長距離バスで移動。
バスチケットの値段が高い方から順番に(新型エアコンバス)・(旧型エアコンバス)・(エアコン無しバス)が選べた。
この日はかなり日差しが強かったので、エアコン付のバスに乗ることに。
しかし、少し値段をケチって(旧型エアコンバス)にしたのが大失敗。
エアコンが壊れていて、中は灼熱地獄。バスの窓が開閉できないので、完全にサウナ状態になってしまいみんな死にそうになった。これなら窓が開く(エアコン無しのバス)の方がましであった(泣)。
なんと日本語のパンフレットである。
僕らはこのパンフレットを参考に今日の観光予定を決めようと思った。
タイでは鳥や魚を放つことによって徳を得るとされている。
それを多くすることによって、より多くの徳をつむわけである。
僕らも徳を得るため、鳥かごを買って逃がしてあげることにした。
最近では若いカップルが一緒に灯篭を流して愛を確かめ合うという行事になっている。
僕らは空中灯篭を飛ばし、旅の安全を祈った。