海風の香る街ナポリの巻
朝のまぶしい光がオラを目覚めさせた。
重い目を擦りながら船の甲板に出てみると、港の灯台が見えていた。
ギリシャから僕らを乗せたフェリーは12時間半の航海を経て、とうとうイタリアのバーリ港に到着した。
バーリは南イタリア最大の商工業都市だけあって、活気に満ち溢れていた。
その港から市内バスに乗って、今度は国鉄バーリ中央駅を目指した。これから始まる僕らのイタリア横断の旅は、主に列車の移動になる予定だ。
駅に到着すると売店のおじさんが、「ボンジョルノ」と言って挨拶してきた。
その言葉を聞いたオラは、ああ、イタリアに来たんだなぁと実感した。
この売店で僕らはお昼ご飯を買うことにした。
オラはパイ(1ユーロ=約165円)を一つ、他の仲間はそれぞれパンやサンドウィッチを買い11時発の列車でナポリを目指した。
車両から見える外の景色は、出発してすぐに都会から田舎へと変わっていった。
足元にバックパックを降ろし、座席に腰をおろした瞬間、ジーパンの後ろポケットに入れていたパイがぐしゃっと潰れてしまった。
すっかりパイの存在を忘れていたのだ。
ぺたんこに潰れたパイは見た目こそ悪いがとてもうまかった。
ポロポロと剥がれ落ちるパイ生地に気をとられながらも、オラは車窓から見える景色を堪能していた。
目の前に映るどこまでも続く平野にはオリーブ畑が広がっており、オラの思っていた都会のイタリアのイメージとはかけ離れていた。こんなにものどかで落ち着いた地域がこの国にもあることを初めて知ったのだった。
しばらく単調な景色を眺めていたせいか、自分自身も少しのんびりとした気分になり、いつの間にか眠りに入ってしまった。
途中どこかの駅で仲間に起こされ列車を乗り換えたのだが、何時にどの駅で降りたのかオラの記憶はさだかではなかった。
更に列車に揺られ、夕暮れ時にナポリ中央駅に到着した。
僕らの目指す宿は、ナポリ中央駅からメトロ(地下鉄)で約30分移動したメルジェリーナ駅のすぐ近くだった。
今回のイタリア横断の宿は主にユースホステルを使うことになった。
イタリア(特にナポリ)は物価が高く安宿が少ないので、値段が安く更に朝食付きのユースホステルはイタリアを旅するバックパッカーに人気だからだ。
この宿の名前はオスティロ・メルジェリーナ(一人1泊15ユーロ=約2475円)だった。
ちなみにオスティロとはイタリア語でユースホステルの意味である。
この宿には僕ら以外に日本人観光客5名が宿泊していた。
彼らは宿の談話室で会話をしたり、イタリア語で流れる日本のテレビ番組を見たりしながらくつろいでいた。
そんな中、一人ポツンと離れたソファーに座っている20代半ばの日本人女性がいた。
オラとようちゃんは、一人ぼっちの女性をほおっておけない性質なので、すぐに声をかけに行った。
「ねぇ、よかったらこれ食べない!?」ようちゃんは、バックからチョコをとりだし、彼女に差し出した。
「ありがとう……」堅苦しそうにしていた彼女が、急に明るい表情に変わった。
彼女はイタリアを一人で旅していて僕らと同じく、ついさっきナポリに着いたのだと言う。
そんな彼女のあだ名はカリンだと言っていた。
オラは同じ宿に泊まっている日本人達(カリンちゃん、女子大生2人組み、20代のカップル)に、明日みんなでカプリ島に行かないかと誘ってみた。
カプリ島はナポリ市内から約30キロ沖合に浮かぶ小島で、その島にある青の洞窟がイタリア旅行の中でもハイライト的な観光スポットだった。他の日本人達もカプリ島観光はこれからだったので、全員オラの誘いに賛同してくれた。
そんな日本人もいてのんびりと過ごせそうなユースホステルに僕らは2泊の宿泊を決めたのであった。
ナポリに到着した次の日の朝、オラはいつにも増して早起きをした。
もうすぐ青の洞窟が見られると思うと、居ても立ってもいられなかったのだ。
というのも、オラが日本に居るころ、青の洞窟の特集をしているテレビ番組を見る機会があった。
番組のレポーターとカメラマンが船頭と共に小舟に乗り込み、海に面した半没状態になった狭い洞窟の入り口を波の引く合間に一気に中に入り込んだ。
そして洞窟の中の映像が映し出された瞬間、思わずオラは声を上げてしまった。
暗闇の中に輝くコバルトブルーの海の色が印象的でとても神秘的だった。
オラの心はすぐにくすぐられた。
死ぬまでに一度はこの目で本物の青の洞窟を見てみたいとその時思った。
だからオラにとって青の洞窟観光はかかせない存在なのだ。
宿のロビーでオラがガイドブックを広げているとカリンちゃんが近づいてきた。
オラが持っているのはヨーロッパ全域のガイドブックだったので、イタリアの情報は大まかにしか載っていなかった。
「私、イタリアのガイドブック持っているよ」とても愛嬌のある声で話しかけてくれた。
「ありがとう、じゃ少し借りていいかなぁ?」オラがそう言うと、彼女は嬉しそうに頷いた。
出発の準備が整い、オラはカリンちゃんのガイドブックを片手に宿の大きな扉を開いた。
太陽の光がまぶしく僕らを照らしつけてきた。
空は真っ青でとても清々しい。
世界一周メンバー6名と同じ宿の日本人5名の合計11名でカプリ島までの日帰り旅行が始まった。
まず、港へ向かう路線バスにみんなで乗り込んだ。
車内は、地元のイタリア人がいっぱいで僕らの座る席はなかった。
しかし15分程の道のりなのでそのまま立った状態で港近くの停留所に着くのを待った。
卒業旅行中の女子大生のひとりが思い出したかのように言った。
「ねぇ、チケットってバスに乗る前に買うんじゃないの?」
みかりん「ええ~、そうなの?」
どうやら、ナポリの路線バスの切符は近くのキヨスクみたいな所で先に購入しなくてはいけなかったようだ。
「しまったなぁ、どうしよう……」
しかし、そんなことを言っている間にバスは停留所に着いてしまったので、オラは運転手の兄ちゃんにチケットを買うのを忘れたことを伝え、この場で現金で支払いしてもいいかと訪ねてみた。
運転手の兄ちゃんは、僕らの方を見て少し考えたあと、お金はもういいよと言ってくれた。
「えっ、いいの!?」オラが運転手の顔を覗き込むように聞き直すと、兄ちゃんは、「とっとと行け」と言わんばかりに、シッシッと小さく手を振って僕らを追い払った!!
たぶん時間がかかりそうなので面倒臭くなったのだろう。
まぁとりあえずラッキーである。
みんなは「ありがとう、ありがとう」と順番に頭を下げながら、バスから降りた。
港に着いた僕ら一行は、ナポリからフェリー (一人片道8.1ユーロ=約1340円)でカプリ島を目指した。
約1時間半の移動である。みんなで会話を楽しんでいる間にも僕らを乗せた船はどんどんカプリ島へ近づいて行く。
島の風貌が見えた瞬間、オラの胸の鼓動が高まった。
大きな岩山の所々に白い家が建ち並び、青い海とのコントラストがとても綺麗だった。
青の洞窟へは、港から20人乗りくらいの船で洞窟の入り口まで行き、そこで更に小船に乗り換えるのである。
ところが、島の観光案内場に行くと、今日は波の影響で洞窟行きの船は出ていないと言われた。
青の洞窟への期待感が最高潮に達していたというのに、いきなり道が閉ざされてしまった。
昔、家族で遊園地に遊びに行った時、そこは空き地になっており、「遊園地はつぶれてなくなりましたよ」と地元の人に言われ、家族全員愕然としたことを思い出した。
せっかくお弁当まで持って行ったのに……。
その時と同じぐらいショックだった。
オラの気持ちは一気に脱力感へと変わった。
仕方がないので帰りのフェリーの時刻までの約4時間は、自由行動にすることにした。
みんなは展望台に登りに行ったり、街探索をしに行ったりしたが、オラは他の観光なんてする気がしなかった。
どうしても青の洞窟が見たかったので、バスに乗り込み近くまで見に行くことにした。
洞窟の入り口付近までは歩いて近づけるのでいけそうなら素潜りで泳いでやろうかと思っていた。
しかし、実際現場に行ってみると波が激しく、とてもじゃないが無理そうだった。
翌日青の洞窟巡りに再チャレンジしようと思い、ナポリの宿から観光案内所に電話をしたがやはり駄目だった……。
風の強いこの時期はやはり洞窟に入るのは無理なのだろう。
残念だが今回は諦めることにした。でもいつかまた、絶対青の洞窟を見に来てやるぞ!! とオラは心に誓った。
らんま1/2、ハム太郎、セーラームーンが同じ時間帯で放送されていたのには驚いた。
どうやらイタリアでは、日本のアニメが大流行しているようだ。
国鉄列車に乗るときは切符の刻印を忘れずに
列車に乗車する前に必ず黄色い自動検札機にて自分で日付と時刻を刻印しなければならない。
この自動検札機は、日本の自動改札機とは異なり、駅の柱などにちょこんと固定してあるだけの小さなボックスなので、慣れない外国人はスルーしてしまいそうになる。
バスや地下鉄に乗る時も一緒で、未刻印や切符を持っていないことが発覚すると厳しく罰金を払わされる場合がある。
僕らも国鉄列車に乗っている時、切符の刻印を忘れたことで車掌にかなりしぼられた。しかしたまたま出会ったイタリア在住の日本人男性に助けられ、なんとか罰金を払わなくて済んだ。