一方、ベトナム最大の商業都市ホーチミンは、活気あふれる市民の生活や旧大統領官邸の統一会堂、歴史博物館、聖母マリア教会などの歴史的なコロニアル建物なども見どころだ。
1,000ドン=約5・4円(2006年2月現在) 1,000ドン=約7・5円(2006年10月17日~27日)
初めての国境移動の巻
中国からベトナムへは、南寧からハノイまで国際列車が出ている。
桂林で調べた結果、その列車は週2回しか走っていないことが分かった。
列車の出発は2日後である。
しかし僕らの旅は、バンコクやインドでの合流組の予定にも合わせて移動しているので、あまり足止めを食っていられない。
僕らは別の手段での国境越えを考えた。
オラは桂林の宿のインターネットで調べていた情報を元に国境移動を試みた。
桂林を朝の7時に出発し、列車で4時間半。南寧駅に向かう。
その後、地元のバスに乗り込み30分、長距離バスが発着する江南バスターミナルへ。
そこから更に中国最後の地ピンシャンにたどり着く予定であった。
江南バスターミナルの構内は人、人、人で溢れかえっていた。
チケット売り場を探すがなかなか見つからない。
インフォメーションで聞いても、英語が通じないので、中国語を辞書で調べながら紙に書いて見せるが、何故か全く通じない。何人かの現地人に聞きまわって、やっとチケット売り場を発見した。
その小さな窓口にはたくさんの人が並んでいた。
オラとあけちゃんは、その人混みに並ぼうとするが、全く列になっていない。
お金を握った中国人達が、窓口に向かって一斉に手を伸ばしている。
ギュウギュウ詰めの人の中、強引さがなければ前までたどりつけない状態。
やっと窓口の前まできたが、横から何人もの人が割り込んでくるので、なかなか8人分のバスチケットを買うことができない。
窓口のお姉さんも、目の前に伸びてきたお金を握った手に対してだけチケットをどんどん渡している。
オラは他の仲間に加勢を頼んだ。
みんなで割り込んでくる中国人を両サイドから腕でブロックして跳ね返す。
それでもブロックする腕の上から割り込もうとしてくるので、そのたびに僕らは中国人を跳ね返していく。
何とかチームプレイで最終バスの出発5分前にチケットをゲットできた。
僕らはダッシュでバスに駆け込み、何とかギリギリセーフ。
そこから約二時間半で今日の最終目的地、ピンシャンへ向かう。
バスの車窓からは田園風景か山と川の景色が続づき、中国の外れに近づいてきたのを実感した。
ピンシャンにたどり着いた時にはすでに夕方の17時であった。
バスから降りると、どこからともなく、トゥクトゥク(三輪タクシー)のおっちゃん達がやって来て、国境まで運んでやると言ってきた。
当初の予定では、ピンシャンで一泊の予定だった。
しかし、急げば入国審査はまだ間に合うとトゥクトゥクのおっちゃんが教えてくれた。
僕らは急遽予定を変更し、そのまま国境越えをする事に決め、急いで二台のトゥクトゥクに別れて乗り込んだ。
舗装されていない砂煙の舞う道をトゥクトゥクで走ること40分。
国境手前の狭い一本道の前にたどり着いた。
トゥクトゥクの乗車賃一人10元を払うと今度は、おっちゃんが元からドンへの両替を持ちかけてきた。元からのレートを1元=1600ドンだと言う。
けれどネットでの調べによると1元=1800ドンと聞いていたので、ねばって1,850ドンでの交渉に成功した。
やったぁ、ちょっと得をしたね。
入国審査所に繋がっている砂利道の狭い一本道を歩いて行くと今度は、闇両替屋のおばちゃん達がいた。
元はすでにドンに代えたけど、一応おばちゃんにレートを聞いてみた。
するとやはり、情報どおり、1,800ドンだった。
やはりネットで先に相場を調べといて良かったよ。
しかし、ようちゃんが両替屋のおばちゃんにそこからネギリを掛けてみると、結局1元=1,900ドンまで上がった。
オーマイガー!! 俺達損してる……。
聞くんじゃなかった。
やはり、レートはその国に入る前によく調べておかないと、実際得しているのか損しているのか、よく分からないものなんだなぁとつくづく感じさせられたのであった。
入国審査を無事に終えた僕らはとうとうベトナムに入った。
国境の外ではタクシーの親父達が暇そうにタバコを噴かし座っていた。
「ヘイ、ウェアードゥユーゴー!?」1人のタクシーの親父は、客が来たかと思い、すくりと立ち上がって、僕らの行き先を尋ねてきた。
「僕ら、ランソンまで行って、そこからハノイに行くんだ」
「オッケー! ランソンゴーゴーカモーン!」
「いくら?」
「ワンタクシーオブハンドレットダラー!」
「1台100米ドル!? ランソンまで15キロやで、高すぎやんけ!」
「ノーノーベリーチーペスト……」
何が安いねん!? いやいや全然安くないし……。
出たでー、ネットの情報にも載っていたしつこい白タク親父だ!
国境の町『ドンダン』は古い民家があるだけでまわりを見渡す限り、お店も何も無い寂しげな町であった。
他に交通手段も無さそうな場所だから白タク親父達はどうどうとボッタクリの値段を言ってくるのだろうと思った。
しかしオラは、ネットで情報を調べていた。
「2キロ先にはバス停があるはずだ、そこまで無視して歩いて行こうぜ!」
「ゼアイズノーバス……エイティダラー……」白タクの親父は案の定、僕らの歩いている横を車に乗ってひたすら付いて来る。
「バスはもう無いって言ってるよ、80ドルに値引くって……」
しかし僕らはひたすら無視して歩く……。
すると、遠くの方にバスが停まっているのが見えた。
「よし、もうすぐだ!」僕らはバスに乗り込もうとした。が、しかしバスは無人だった……。
バスの運行時刻はすでに終わっていたようだ。
「ガハハハハ、ノーバス、ノーバス」
ムキーッ! 親父の舐めた笑いに僕らは怒りをあらわにした。
「歩いて行く!」
「オウ、ノー、クレイジー、ワンタクシーファイブダラーオッケー!?」
えっ! 5米ドル? じゃぁ、乗る乗る。
白タク親父は僕らが全く乗る気がない事に気づいたのか、あきらめて正規の値段を言ってきた様だ。
という訳でランソンまで一人1米ドルちょっとで行ける事となった。最初のボッタクリ値段は何だったのだろうか……。
ランソンに着くころには、すでに辺りは真っ暗になっていた。タクシーを降りると目の前には一台のミニバスが停まっていた。
どうやらこのバスに乗ればそこから約150キロ離れたベトナムの首都ハノイまで、直行で行けるらしい。
しかもこのバスは中国元も使える。
僕らはミニバスの運転手に一人40元を支払った。
16人乗りのミニバスにはすでに13名の客が乗っている。
大きなバックパックを持っている僕ら8名が乗り込むのは、どう考えても無理そうだ。
けれど運転手は乗れ乗れと言って僕らを無理やりバスに詰め込んだ。
しかし、バスはまだ出発しない、どうしたんだろう……。
すると暗闇の中から二人のおばちゃん達がバスに向かって走ってきた。
嘘やろ~、まだ乗せるのかよ!
おばちゃん達は何と、菊ちゃんとようちゃんのヒザの上に普通に腰を降ろしてきた。
菊ちゃん達は苦笑いを浮かべていた。
結局16席しかない車に23名の客が約2時間半の道のりを共にすることとなった。
ようちゃんのひざに乗っているおばちゃんは完全にようちゃんの身体を枕代わりにリラックスしていた。
よく見るとなんと、ようちゃんはおばちゃんの顔をマッサージしているではないか。
菊ちゃんはというと、自分の体がスッポリ隠れるくらいでっかいおばちゃんの下敷きになっていた。
しかも菊ちゃんの膝の上で弁当をガツガツ食べている。その光景が可笑しくてしょうがなかった。
ハノイに着いた頃には、菊ちゃんはおばちゃんの重みに潰され、ミイラの様になっていたのであった。
ミニバスはハノイの旧市街地にある安宿の前に停まってくれた。
しかし8名分のベッドが空いて無いのでその宿に全員は泊まれないようだ。
仕方がないので、もう一つ違う宿を探して二手に別れて泊まることにした。
ハノイの街は首都にしては思ったよりも発展しておらず、古い田舎町の様だ。
道路にはゴミが散乱しホコリ臭い街だった。
建物と建物の間の細い暗い道が、網の目状に幾つも走っていたので、僕らは何度も迷子になりそうになった。
何とか寝床が決まった僕らは、もうお腹がペコペコ。
ふらふらと、食事にありつけそうな場所を探していると一軒の小さな食堂を発見。
そこで食事をとることに……。
メニュー表には写真も何も無く、どんな物なのかよく分からない。
とりあえず、店のおばちゃんに「あれとあれとあれ頂戴!?」と壁に貼られたメニューに指を指し、人数分全部違う物をひとつずつ頼んだ。
しばらくして僕らの座るテーブルに生春巻きの様な食べ物がお皿に山盛り乗って出て来た。生春巻きの上にはオラの苦手なパクチー(苦い葉っぱ)が盛り付けられている。パクチーは苦手だが、ベトナムの生春巻きは始めてだし、みんなで突いて食べる事にした。しかしベチャッとしていてあまり美味しい物ではなかった。
他のみんなもしかめ面をして言った。
「次出てくる物に期待しようか?」
しかし、一皿しか頼んでないつもりのこの生春巻きが次から次へと僕らのテーブルに合計8皿も運ばれてきた。
「すいませーん!! 僕ら全部違うメニューを頼んだはずなんですけど……」
「%#$%#$*!!」しかし、おばちゃんは、何か怒っている様子。
「えっ、どういうこと? もしかして、中身が違うとか!?」
皿ごとに春巻きの中身を開いてみると、やはり確かに微妙に素材が代わっているようである。
どうやら僕らは生春巻き専門店に来てしまったようだ。
でもどれもあまり美味しくなかった。
結局、僕らは腹の減るのには勝てず、我慢してこの生春巻きを全部食らうのであった……。
やはり、写真付きのメニュー表がある店か、陳列に具材が並んでいて、指差しで頼めるお店に入れば良かったと僕らは思った。
割り込みの激しい中国人に対して僕らはチームワークでチケットをゲットしたのであった。
『ピンシャン』→『ドンダン』、『河口』→『ラオカイ』、『東興』→『モンカイ』である。
南寧からハノイまで国際列車が出ているので僕らは、列車で行こうとした。しかしその列車は週2回しか走ってないとのこと。先を急ぐ僕らは、止むを得ず、桂林から近いピンシャンからの国境移動を試みた。
国境の外ではタクシーの親父達が暇そうにタバコを噴かし座っていた。
5米ドルで乗れるタクシーに最初は100米ドルだと吹っかけられた。
菊ちゃんとようちゃんのひざの上に普通に腰を降ろしてくる地元のおばさん達。
ゴミの固まりがそこら中散乱していてほこりっぽい。
それになんといってもバイクの数が半端なく多い。
しかも乗務定員が決まってないため、見ていて驚いてしまう。
バイクの3人乗りは当たり前、中には5人乗りのバイクも出現。
「おまえら、曲芸師か!?」と思わず叫んでしまいたくなる。
横一列にたくさんのバイクが走っているため、中国にいた時よりも道路を横断するのが更に難しい。
僕らはベトナムの狭い道を歩くのにまだ慣れておらず、1日1回はバイクにぶつかられてしまう。
排気ガスも凄いので、喉もすぐにやられてしまう。
移動の疲れのせいか、空気の悪さのせいか、8名中3名が体調を壊した。
トゥクトゥクのおっちゃんも僕らに交渉してくる。
レートをよく調べておかないと誤魔化されたり、破れた紙幣などを混ぜて渡されるので注意が必要だ。
(少しでも破れた紙幣はお店などで受け取ってもらえない)
市内に入ると銀行や街の両替屋・ホテルで交換できるのだが、
日本円や中国元からVND(ドン)に直接交換は難しいので円→米ドル→VND(ドン)のような形で交換することになる。
先にベトナムを移動している博士タイプのぷる君が入手した情報によると中国元の交換は、正規の両替屋ではなく宝石や金製品を扱う店でやっているような両替屋がかなりお得であった。
みんなは内容をよく理解せぬままでそれぞれ注文をしていった。ところが中身こそ違うが、見た目は全て同じ生春巻き(下の写真)が人数分やってきた。
どれも僕らの口には合わない。
それに懲りた僕らは、なんでもこいの注文方法は止めて、食材で指差して注文ができる店に行くか、メニューの解りやすい、フォー屋さんばかり行っていた。
フォーは鶏や牛から取ったあっさりしたスープが多いので比較的美味しく食べやすい。
横にはたいていライムが置かれており、お好みで酸味を加えて味を調整する。
行く前に「オラ寝るかもしれん」って言うと、あけちゃんに酷く怒られた。
しかし、思ったより楽しかったので、オラは寝ずに済んだので助かった。
後ろの席からイビキらしい音が聞こえてきたので、ふと、後ろを振り向くと
何と! マッキーとようちゃんが寝ているではないか!
オラは面白半分でその瞬間をビデオカメラに収めようとするといきなりマッキーが目を覚まし
「寝てるとこ絶対あけちゃんに見せんでよ!」と逆に怒られ耳までつねられた。
でも人形劇を最後までちゃんと見ていたオラは、裏で人形の動きを操作している人の、その神業とも思える人形さばきに感動した。
劇の最後、手拍子にのって裏方全員が表に出て来て挨拶しにきた時にはちょっぴり感動もした。
水上人形劇は、舞台の裏に隠れた人形遣いが自らプールの水に浸かり、竹または木のサオを用いて人形を操る劇。
ベトナムの民話・伝説・神話などから題材とした内容を、ベトナム民謡の音楽にのせ、テンポの早さとコミカルな人形の動きを操作することで、観客を魅了している。
水上人形劇
入場料20,000ドン(約150円)