タウンシップツアーの巻
結局ケープタウン滞在7日目に次の目的地、赤い砂漠で有名なナミビアへ出発することが決まった。
そして出発前の空き日に、オラ・マッキー・ダイタの3人は、タウンシップツアーに参加した。
タウンシップとはアパルトヘイトで黒人が無理やり住まされた居住地域である。
タウンシップツアーの目的は、現場の悲惨さを見てもらい、現地の人達と酒を飲み交わしたり、一緒にビリヤードをしたりしてコミュニケーションをはかる事で、そういう歴史を多くの人に伝える事を目的にしているツアーである。
僕らは、まず村の集会所に案内され、ビールを試飲させてもらった。
手作りのビールは、30センチくらいの空き缶の中に並々入れられていた。
それを村の人達と回し飲みしていくのである。
手作りのビールは炭酸が入ってないからなのか、決して僕らの口に合うような飲み物ではなかった。
そのあと保育園にも連れて行ってもらった。
僕らが教室に入ると子ども達は夢中になって、足元に飛びついて来た。
その中の1人に、顔の大きなハナの垂れた女の子がいた。
どうやらオラの事を気にいってくれたようだ。
別の観光客が尋ねてきても、他の子ども達は新しい来客の方に夢中になったが、顔の大きな女の子はオラのひざに乗って離れようとはしなかった。
髪の毛クルクルでお目目がパッチリのお人形さんみたいで超可愛い。
僕らが車で帰る時には、近所のちびっ子達が走って見送ってくれた。
それもとても感動的であった。
タウンシップツアーに参加した他の旅行者は、かなり悲惨でショックを受けたと聞いていた。
実際僕らは、ここにきたからといって特にそんな悲惨な状態を見て感じる事は無かった。
インドのもっと悲惨なスラム街を見て来ていたからなのだろうか?
しかし、何故肌の色が違うからといって差別されていたのだろう?
人間は自分達と少しでも違うところを見ると差別した感覚で見てしまうのだろうか……。
アフリカのアパルトヘイトは、すでに廃止され、名残もほとんど無くなってきていると思った。
それに比べインドのカースト制度は、今も根強く残っていた。
やはり宗教的なものと歴史の深さが関係しているのかなぁ、と実際インドと南アフリカを旅してみて思ったことであった。
人種によって差別するしくみ。
アパルトヘイトでは法律で人種を4通りに分けていた。
①白人…ヨーロッパ系の人達
②カラード…。
オランダ人が移り住んだ頃は、女性がとても少なかったために、先住民のサン人や、コイコイ人の女性や奴隷として連れてこられたマレー系の女性と結婚した。
その子孫がカラードと呼ばれる。
③インド人…。
南アフリカをイギリスが支配していた時代に、さとうきび畑で働かせるためにたくさんのインド人が連れてこられた。
④黒人…。
バンツー系の言葉をしゃべるいろいろな民族の人たちのこと。もともとアフリカにいた人たちなので「アフリカ人」と呼ばれることもある。
【差別の内容】
●国土面積の14%の土地が黒人専用とされた。
そこに10個のホームランドと呼ばれる「国」を作らせ、住まされた。
●レストラン、ホテル、電車、公園から公衆トイレにいたるまで公共施設(みんなで使う施設)はすべて白人用と白人以外の人用に区別されそこに立ち入った黒人はすぐに逮捕された。
個人の家もかってに住むことはできず人種ごとに住む地域が決められた。
●人種の違う男女が結婚することの禁止。たとえ結婚しなくても、恋愛関係だけでも罰せられた。
【アパルトヘイトが廃止された今】
1994年にアパルトヘイトがなくなって政治的には平等になったが、経済的には昔とあまり変わらない。
ほとんどの黒人は旧黒人居住区から離れることができないのが現状だ。