標高約 2,134 m の山の斜面にあり、街の北側には世界第3位の高峰『カンチェンヂェンガー(8586m)』がそびえている。
この地域はインドの中でも冷涼な気候で、夏は過ごしやすいが、冬はかなり寒い。
1インドルピー=約1.64円 (2016年2月現在)
1インドルピー=約2.8円 (当時2006年11月26日~12月5日)

山の斜面にヨーロッパ調の建築物が所々に点在するダージリンの街の風景

ダージリンからは、9:15発のニュージャルパイグリ(NJP)行きと、16:00発のカーシオン行きの二本がある。また、観光用にダージリンから5kmほどにあるグーム駅まで行って帰ってくる便もたまに運行されている。
ニュージャルパイグリ行きは乗り合いバスなら3時間位のところをトイ・トレインは、6時間以上掛けてゆっくり走るのである。

機関車トーマスのような可愛いトイ・トレイン 列車はかなり遅めのスピードで走っている

トイ・トレインの車両の中は狭くてかなり窮屈
ダージリンと機関車トーマスの巻
ネパール側の国境(カカルビッタ)で客引きと上手く交渉でき、そこから『ダージリン』までは、ジープで行くこととなった。
インド側の国境(ラーニガンジー)はネパール側の国境から橋を隔てた反対側にあり、その橋を抜けるとあの懐かしい色鮮やかなサリーの女性の姿が目立ってきた。
インド側の国境(ラーニガンジー)を12時半に出発し、そこから約4時間の移動である。
国境を出発してしばらくすると、茶畑がどこまでも続く風景になっていた。
この辺りはダージリン茶葉の栽培でも有名な土地であったのだ。
オラは車の窓を開き、車外に身を乗り出して茶葉の香る風を全身に受けてみた。
しかし期待していた紅茶の香りは感じられず、草の青臭さだけが匂ってきた。
茶畑の景色を抜けると今度はアップダウンが激しい道になってきた。
どうやら峠を走っているようである。
さっき通った村一帯をぐるりと回り込みながらどんどん山の上に向かって行く。
上から見下ろす村の家々が小石の様に小さく見えるのでかなり高いところに上って来たのが分る。
峠道に揺られて気持ちが良いせいかオラと運転手以外は全員眠り扱けていた。
そして山道を更に登っていくと今までノンストップで走っていたジープが、山麓の小さな街の駅前で停車した。
今まで眠っていたみんなも到着の気配を感じ、ゆっくりと目を開け始めた。
運転手のおじさんが僕らの荷物を降ろし始めたのでここがダージリン駅だというのが分かった。
時計を見ると16時半であった。
ヒマラヤ山麓に位置するこの秘境の地は、植民地時代にイギリス人の避暑地であったので、街には色鮮やかな壁や屋根の造りのイギリス調の建築物が目立つ。
そのお洒落な街並みが雄大な自然の景色とマッチして、とてもインドとは思えない風景であった。
人々の顔もインド人というよりチベット人の顔立ちに近かった。
ダージリンは標高が2000メートル以上の場所に位置するため、とても空気がひんやりしていて、雪降りを感じさせるほど肌寒かった。
オラは運転手のおじさんに安宿のある場所まで連れて行ってくれと頼んだが、運転手のおじさんは、山の斜面に立ち並んでいる建物の更に一番上の豆粒のように小さく見える建物を指差した。
「君達の目指す安宿はこの斜面の一番頂上にある、ここから歩いて上るんだ!!」
「えー!! ジープで連れて行ってくれないの!?」
どうやら安宿がある場所までは車では行くことができないらしい……。
仕方がないので僕らは駅前から荷物を担いで歩いていくことにした。
しかしそこからは傾斜が40度くらいの急な坂道と、上っても上ってもあまり前には進まないと思わせるような、地獄の階段を上って行かなければならなかった。
しかも道の一つ一つが個人宅の玄関まで繋がっている。
入り組んだ階段の道が多く、それが迷路のようになっていた。
一歩道を間違えれば再び階段を上下しないとダメなのでまさにバックパッカー泣かせの坂道である。
あけちゃんは、自分の荷物の重さをさすがに後悔したようで、半べそを掻きながら必死で階段を上っていた。
近くにいた仲間が手伝おうかと手を差し伸べるが、自己責任だからと言って、その手を振り払った。
なんという精神力のある女性なのだとオラは思った。
しかし、そんなあけちゃんでも28キロの荷物はさすがに限界だったようで、階段の端にしゃがみ込んでしまった。
すると先に上り着いていたぷる君が、手ぶらで下りて来てあけちゃんの荷物運びを手伝おうかと言ってくれた。
さすがぷる君は、体力もあるし仲間思いだなぁ……。
そんなこんなで僕ら全員は、やっとのことで宿にたどり着いた。
しかし、こんなに頑張って上ってきたのになんとまぁヒドイ宿。
まるで廃校になった校舎のようだ。おまけに今は、冬場で客が来ないため電気も水も止まっている。
オラとぷる君で一応二階にある部屋を見せてもらいに行った。
「ぎょえ~」部屋を覗いた瞬間、思わず叫んだ!!
だだっ広いコンクリートの部屋に規則的に並べられたホコリまみれで、いかにも硬そうなベッドが置いてあるだけ。そして部屋の隅々にはクモの巣が張り巡らされていた。
人が寝泊りするとはとうてい思えない有様であった。
あまりの衝撃に思わず二人とも声を上げずにはいられなかったのである。
一階のフロントで待っていた仲間達は、二階から僕らの悲鳴が聞こえてきたので、部屋の様子を見なくても叫んでいた意味が解ったと言う。
宿のオヤジは、せっかく来た君らを今はやっていないが、特別に泊まらせてあげるよと言ってきた。
しかし、電気も水道も止まっていてトイレすらも使えない、このお化け屋敷の様な建物に、夏のピークシーズンの値段で泊めてやるとオヤジが言うのだ。
「あほか、こんなトコで寝たら凍死してしまうわ!!」 オラは「部屋で焚き火オッケーなら泊まる」と言ったが、もちろん無理だったので違う宿を探す事にした。
もと来た道を下っていくとすぐ近くに良さそうな宿を発見。
『エレメントゲストハウス』一人1泊125ルピー(約350円)。
さっきの宿と比べると見た目も凄くまともそうな宿だ。
ホットシャワーも出るとのことだったのでそこに決定!!
みんなはそれぞれ部屋に移動し旅の疲れを洗い流すことにした。
「ワァオーッ!!」突然、隣の部屋から犬の遠吠えのような叫び声が聞こえてきた。
なんと、ようちゃんがシャワーを浴びているとホットシャワーが急に冷水シャワーに変わったようだ。
こんな寒い場所で冷水を浴びるなんて絶対ありえへん~。
宿の人に聞いてみると、どうやらお湯は一度に5分ほどしか出ない仕組みにしているらしい……。
えー、どんだけケチってるねん!
まぁ、ようちゃんが犠牲になってくれたおかげでオラは冷水を浴びずに済んで助かったのだが……。
オラは熱いお湯をバケツに溜め、水を混ぜながら何とか体を洗うことに成功したのであった。
翌日、僕らは旅の遅れを取り戻すため、すぐに移動する予定にしていたのだが、少しだけ早起きして世界第三の高さを誇る高峰『カンチェンジェンガー』8586mを見てから出発しようと思った。
しかし、天候が悪かったせいで『カンチェンジェンガー』を拝むことはできなかった。
残念だけど予定を変更し、街の観光をしながら駅に向かうことにした。
ダージリンの街は、湖や川中心の漁業が盛んなのか、魚を販売しているお店を多く見かけた。
お店の人達は開店準備をするため、忙しそうにしていた。
そして僕らはコルカタに向かうため、ダージリンの駅から終点の『ニュージャルパイグリ駅』までダージリン・ヒマラヤ鉄道に乗って移動した。
約6時間の機関車の旅である。
9時15分、まるで機関車トーマスの様なかわいい列車は、僕らを乗せて出発した。
僕らと同じ車両には、社員旅行風のインド人の団体・ヨーロッパ人のカップルそしてインド人家族(太っちょのお父さん・優しそうなお母さん・イチゴの様な全身赤とピンクの服装の10歳くらいの女の子)が一緒になった。
インド人の駅員は、例のごとく適当な指定席で切符を売っていたので、各グループの乗客は席がバラバラになってしまった。
僕らのグループはある程度まとまっていたが、インド人家族の席はバラバラであった。
まさか指定席なのに家族がバラバラだとは思わないから、イチゴちゃんのお父ちゃんは堂々と違う席に座っていた。席を間違っている事を他のインド人の団体に指摘されイチゴちゃんのお父さんはパニックに!
「僕達家族をなぜバラバラの席にするんだぁ! ヒドイィ」
よっぽどショックだったのか、イチゴちゃんのお父さんは現実を受け入れられていない様子。
「いや、だから席をかわりましょうと……。」
団体のインド人さんが苦笑いしながらイチゴちゃんのお父さんをなだめていた。
結局何度か席を入れ変わりながら4団体はなんとかまとまった席に座ることが出来た。
この一件が落ち着いたあと、僕らはこのおもちゃのような小さい車両が楽しく感じ、仲間同士で写真の撮り合いなどしながらはしゃいでいた。
しばらくすると一つ目の駅に到着した。数人の乗客が休憩のため降りた後、イチゴちゃんのお父さんも一人で降りた。
出発の汽笛が鳴った後、ぞろぞろと乗客が帰ってきたが、イチゴちゃんのお父さんだけが帰って来ない。
イチゴちゃんは心配そうに車窓から顔を出して父を捜す。
そんなイチゴちゃんの心配をよそにトーマスは出発した! そしてイチゴちゃんはパニック!!
「パパぁ! パパぁ!」大騒ぎ(父譲りか?)
お母ちゃんは「ホホホ、大丈夫よ」とか言っているのか、余裕の表情でイチゴちゃんを眺めている。
確かにトーマスくんのスピードはめちゃ遅い、人間が本気で走ったら抜かれるぐらいである。
ドアが開きっぱなしなのでいざとなれば、走ってどこかの車両に飛び移れば置いていかれることはない。
案の定イチゴちゃんのお父ちゃんは、チャイとパンを抱えて走ってきた!!
しかも顔は真剣、本気走り!!
「パパぁ! 早くぅ」イチゴちゃんは、列車の車窓から顔を出し、泣きそうになりながら叫んだ。
「イチゴぉお!」イチゴちゃんのお父さんも叫んでいた。
まるで映画ワンシーンのような光景であった。
無事に車両に乗り込めたイチゴちゃんのお父さんのその顔は、達成感に満ち溢れていた……。
その後もお父さんが何度も乗り遅れそうになり、その度イチゴちゃんが騒いでいる光景が目に入ってきた。
イチゴちゃんは愛嬌があって超かわいかった。
風船を出してきては乗客のみんなとバルーンバレーみたいなのをしたり、ネパールで買ったオラの太鼓で遊んだり、とにかく凄く人懐っこかった。
なので車内では人気者だった。
ダージリン鉄道は思いのほか時間が長かったけど、色んな村が見られたりイチゴちゃん家族と遊べたりと、とても楽しかった。
全然気づかなかったけど、結局乗り継ぎの『ニュージャルパイグリ駅』に3時間も遅れての到着だった。
おかげで乗り継ぎの列車に間に合わず、夕暮れから次の列車が来る夜中の2時過ぎまで駅で待ちぼうけとなった。

5分でお湯が出なくなるシャワールーム