死者をその川岸で火葬にして、灰をこの川に流すことは死者に対する最大の敬意とされる。
また信仰によりこの川で沐浴(お祈り)するために巡礼してくる信者も数多い。
バラナシでは幾つものガートがあり、毎朝たくさんの人々が訪れる。
ガートとは川岸に設置された階段である。洗濯場のほか、巡礼者の沐浴の場として用いられる。
聖なる大河ガンガーの巻
グワリエル駅から僕らの乗った列車は更に遅れが出て、7時半到着予定のはずが結局、昼前にバラナシ駅に到着した。
駅前でオートリクシャーを捕まえた僕らは、ダシャーシュワメード・ガート(メインガート)に行きたいと運転手の親父に伝え、約3キロの道のりを走らせた。
『ガート』とは、ガンジス川沿いの階段状になった場所のことである。
僕らが泊まる予定にしていた『フレンズゲストハウス』一人1泊121ルピー(約339円)は、メインガートの近くにあった。
しかし何故か、ガンジス川にはまだ遠い、ゴードウリヤーの交差点の手前で降ろされた。
どうやらエンジン付の車は、ここから先には入れないのだという。
仕方が無いので僕らは歩いて移動することにした。
街の狭い路地裏にはインドの駄菓子屋・お香の店・衣料品店など所狭しと並んでいた。
野菜市場の通りでは、お店の前の道にもゴザを敷き、野菜や果物を山盛りに積み並べていた。
それを狙う野良牛達を怒鳴りつけながら追い払う野菜売りのおばさんの声や、チリチリチリチリンと永遠と鳴り響いているサイクルリクシャー達のベルの音が聞こえる。
そんな喧騒な街は、牛糞の臭いと埃っぽさが目立つ街であった。
足元をよく見て歩かないと牛のウンチを踏んでしまいそうだ。とてもサンダルなんかでは歩けない街である。
しかし、何日かいれば、それもだんだん気にならなくなってくるのだろうなと思った。
オラが小学生の頃は、犬のウンチを踏もうものなら、1週間は「ウンコマンや~!」って学校でバカにされるのだが、
ここの街では、ウンチを踏まないように歩いている小学生がいたら逆に蹴飛ばされそうである。
ガイドブックの地図を頼りに更に狭い路地裏を歩いていると、やる気の無さそうな牛や犬が、ぐったりと寝そべっていた。
それを避けながら歩いていくと、ようやく『フレンズゲストハウス』にたどり着いた。
入り口ではオーナーのラジャさんが迎えてくれた。
ラジャさんは背格好こそ小さいが、筋肉モリモリで、まるでプロレスラーのような体格であった。
ラジャさんは、自分の家族を紹介し、更に自分の飼い犬のチャコまで紹介してくれた。
ほんとに友達のようなゲストハウスで、僕らの印象に残るような温かみのある宿であった。
ラジャさんの奥さんは、女性メンバー達にインド料理を作るところを見に来ないかと誘ってくれた。
女性メンバー達は大喜びで厨房に出かけた。
その間僕らは、6階の屋上に上ってみることに……。
屋上に上がると、ガンガー(ガンジス川)が目の前に現れた。
その茶色に濁った大きな川岸のガートに行けばインド人の伝統文化が目の当りにできると聞いていた。
これが、あの聖なる大河と言われるガンガーか……。
オラは早くガンガーに行ってみたいと、焦る気持ちを抑えるのが必死だった。
女性メンバー達が部屋に戻ってくると、さも自分達が料理を作っていたかの様に嬉しそうに自慢してきた。
「凄いよ、野菜を鍋で煮込んでね、チャパティーも自分たちで作るのよ、それとチャイの作り方も教えてもらった♪」
まぁ、要するにカレーやろ! チャパティーとは薄く丸く焼き上げたパンのこと。
チャイはインドでは、どこに行っても出されるミルク紅茶のことである。
オラは、インド料理にも興味はあったがそれよりも、早くガートに行きたかったので、みんなにガンガーを見に行こうと誘った。
僕らがガート沿いを歩いているとやはり色んなインド人が声をかけてくる。
「ネックレスはいかがかな?」
いらない
「ガンジャしないか?」インドでは、大麻のことをガンジャと言う。
そんなのいらねぇ~よ!
「兄ちゃん、肩こってないか?」おやじが無理やり、肩を揉んできた。
「おい、その左手は毎日自分のお尻を拭いている手じゃないのか!」オラは、おっさんしばいたろか?! と何度も切れそうになった。
やはり、ガンガーは、朝訪れる方が良さそうだと思った。
翌朝、まだ辺りが暗いうちから僕らはガートに出た。
ガートには、沢山の人が訪れていた。
どこからともなくインドらしい歌声と太鼓の音が聞こえてくる。
これこれ、オラが求めていたインドの何ともいえない雰囲気♪
前日から、宿のオーナーのラジャさんに、手漕ぎボートの予約をしてもらっていたので、みんなで船に乗り込みガンガーの朝陽を眺めに行こうと思った。
手漕ぎボートといっても船頭さん含め9人も乗り込むので、少し大きめの手漕ぎボートだった。
それでも右と左にうまくみんなが別れて乗り込まないと船が傾き怖い思いをする。
「あかん、あかん、交互に乗りなさい!」仲間が船に乗り込む度にぷる君が奇声を発する。
メンバー全員が乗り込むと、船はゆっくりとガート沿いを上流に向かって漕ぎ出した。
水面には死者を供養する灯篭の光がゆらゆらと僕らのボートのまわりを流れていく。
別のボートが僕らの船に近寄ってきて灯篭を売りにきた。一個20ルピー(約56円)の灯篭は、木の葉で作った小船にろうそくと花びらがちりばめられている。
僕らはろうそくの炎が消えないようにゆっくりとボートの上からその小船を水面に下ろした。
ガンガーの流れに、さ迷いながら流れていく灯篭の光を目で追いながらお祈りを捧げた。
船頭さんはそのままガート沿いを漕ぎ続ける。
各ガートからは、お祈りの歌声と小さな鐘のなる音が聞えてくる。
人々がお祈りのため、水辺に集まり、沐浴の準備を始めている。
ふと人々が見つめる東岸の方角に目線をやると、朝靄の中から真っ赤な太陽が神々しく昇り始めていた。
朝の冷気が立ち込めている中、人々の沐浴が始まった。
男性は腰巻姿、女性はサリーを身に纏ったままで川の中に入っていく。
ヒンドゥー教では、沐浴を行うことで、罪を流し功徳を増すと信じられているのだ。
茶色に濁った水は、糞尿などの汚物や死骸などが流れていて、日本人ならとても水に浸かろうとは思えない川であるが、沐浴をする者は、ザブンザブンと頭まで水に浸かり、両手で水をすくい太陽に向かって注ぐ、その後、口に漱ぎ、身体全てを清めるのだ。
ガートの一角では川で洗濯をする者もいた。
洗濯物を棒で叩く音が響きわたる……。
ガートに集まる人々の生活ぶりは日本の文化には無い、何とも言えない光景であった。
船頭さんは、今度は、船の方向を変え、太陽が昇る対岸の砂浜の方向へボートを漕ぎ出した。
対岸の砂浜は、だだっ広い白い砂浜が広がっていた。
チャイ屋さんが一軒あり、3ルピー(約9円)で僕らに配ってくれた。
その砂浜で、上がポロシャツ下はTバック姿の筋肉モリモリのおっちゃんが、5~6人の若者相手に、筋トレの指導をしていた。
オラはそのプリケツおっちゃんのスクワットをする姿が、あまりにもこっけいなので、記念に写真を一枚パシリッと撮った。
その瞬間プリケツおっちゃんと目が合ってしまった。ヤバイ、怒られるかも……。
プリケツおっちゃんは、スクワットをやめ、弟子達を従えこちらに近づいてきた。
プリケツおっちゃんはオラの前に立ちふさがり、弟子達に何かを発した。
「おい、この日本人は、さっきから俺らの事を馬鹿にしているぜ! やっちまえ!」とでも言ったのだろうか……。
オラはどうやって謝ろうかと真剣に悩んだ。
しかしプリケツおっちゃんは、ニコニコしながら「一緒に筋トレしませんか?」みたいなことを言ってきた。
「え、ええいいですよ……。」オラは苦笑いしながらも筋トレの仕草を始めた。
いつの間にやらオラはプリケツおっちゃん達と仲良しになっていた。
愛想のいいおっちゃん達で良かったとオラは胸を撫で下ろした。
その頃ようちゃん達は、いつの間にやらパンツ一丁で沐浴を始めていたのであった……。
船頭さんが、次に行こうと言うので、僕らは船に乗り込んだ。
今度は対岸のガートに戻り、下流側にある火葬場の方に船を漕ぎ出した。
船頭さんが、僕らに船を漕いでみるかと言ってきたので、順番に船を漕がせてもらった。
しかし、思ったよりも真っ直ぐ漕ぐのが難しく、右や左にフラフラしながら進むのであった。
ようやく、火葬場の前に辿り着くと、モクモクとした白い煙が天に舞い上がっていた。
火葬場として使われている水辺の小さな空き地の隅にたくさんの薪が並べられていた。
空き地の真ん中には火葬の炎がメラメラと燃え、そのまわりには葬儀に集まった親族達と思われる人々が集まり、灰になっていく死者にお祈りを捧げていた。
遺灰はそのままガンガーへ流される。
お金が無い人、赤ん坊、妊婦、蛇に噛まれて死んだ人は、そのままの姿で流されるという。
ヒンズー教徒は死後、ガンジス河に還されることを至上の喜びとしているらしい。
そのため、遠い場所から老人とその家族がこのバラナシに訪れ、死を待つのだという。
インド人にとって死は恐怖の対象でなく、神からの人生最大の贈り物なのである。
生が喜びならば、死もまた喜びである。インド人にとっては、死は最高の祝福であり続けているという。
日本人には理解しがたいものがたくさんあるが、この地に住む人々が、ガンガーを熱心に尊ぶ姿には心を打たれるものを感じたのであった。
その日の夜、菊ちゃんからメールがあった。
バンコクで僕らと別れてから一人になって色々考えた結果、再合流したいとのこと。
オラはきっと戻ってくると思っていたので、もちろんOKの返事。
2週間後インド(コルカタ)で合流予定だ。
ガンガーで沐浴する人々。でもテレビでも何度も見た。
もっと火葬場は仰々しいかと思った。
実際は、生活の一部って感じで、
薪割りのおじさん、火葬するおじさん、喪主の人の髪を剃るおじさん、
観光客をだますおじさん???
その傍で遊ぶ子ども達、洗濯する人、
沐浴する人、=普通の生活+火葬場って感じ。
まず、火葬前に、ご遺体を花や綺麗な布で覆い、聖なるガンガーの水に浸す。その後、火葬し、お骨は川に流す。
その時、親族達は、ご遺体と一緒に家族集合写真を撮っているではないか!!
しかもみんな笑顔でにっこり写真。
また、別の火葬では、業者の人っぽい人が、可燃しやすいおがくずとか炭とか撒くんだけど、
その空袋をぽーんと、よりによって顔に捨てた。
なんて事をするんだって、イライラしながら見ていたら
喪主のおじいちゃんがそっと袋を除けていた。
興味深くなってじーちゃんを見ていると、
どうやら喪主はご遺体に火をつける時に遺体の周りを廻るようだが、じいちゃんは途中こけそうになり、火傷しそうに……。
そして火をつけたら、ご遺体そっちのけでタバコをふかしていた。
まぁそんなところがインド人って感じだけど……。
誰も、顔にのっかた袋に気づかなかったのに、じーちゃんが除けたのが凄く心に残った。
じーちゃんにとって、ご遺体さんの死も普通のことで、亡くなってもじーちゃんにとっては、同じ存在なんかなぁとか思った。
私は10ヶ月前におじいちゃんを亡くし、そのお通夜で、みんな楽しげにおじいちゃんの思い出話をしていたのを思い出す。
看護師の仕事で人が亡くなる場面に何度も接したけど……。
身内の死を通し、私はおじいちゃんに色々な経験や知識を貰った事を感じた。
また、それを思い出すことで、次の世代に引き継ぐのかなぁとか。
おじいちゃんがいなくなっても、おじーちゃんから得たものはずっと続くのかなとか。
人の死は避けられない誰にも訪れることで、どう死ぬかを考えるより、私はどう生きるか、何を残せるかを考えたいと更に強く考えた。
これが輪廻の根本かしらとかも考えた。
身内の死を身近なものに感じることが出来るインド。
日常で生と死を意識できるインド。
でも、昔の日本にもあったはずの考え。
だから新鮮さより懐かしさを感じずにいられないのだろうか……。
カースト制度が廃止された今でも、蛇使いの子供は、よほどの意思がないかぎり、そのまま蛇使いの職業に付く事になるらしい。
したがって、子供の頃に親から授かるおもちゃは蛇なのだという。
ヒンズー教徒の間で縁起のよい花と知られる花飾り。神様にお供えする花として使われ、火葬場でも遺体にこの花が飾られる。
マリーゴールドは、聖母マリアが愛し、胸元につけていた花でもある。そこから、マリーゴールドと名づけられた。
インドのチャイはミルクに紅茶の葉を煮出して砂糖を入れた熱い飲み物。
素焼きの器ごと売られているチャイ。
チャイを飲んだら、器を地面にたたきつけて割って土に帰す。
この習慣は、異なるカースト間で同じカップを用いるのは不浄の観念によるものである。
2000年の大洪水で素材の土の入手が一時的に困難になったこともあり、素焼きカップはなかなか見うけられなくなったようだが、鉄道大臣の通達で、駅舎などでは再び素焼きカップの普及を強いられるようになったそうな。
素焼きカップで飲むチャイはほんのり土の香りが混じりインドらしさを感じる。
牛乳・・ 100cc
水・・ 100cc
砂糖・・ 基本は小さじ1 後は好みで
リーフ・・ (ダージリン) 生姜…… 好みに応じて
1. 水をグツグツして牛乳も合わせてグツグツ。
2.リーフを入れて5分間グラグラ。
3. 砂糖・生姜を入れてグツグツ。
4. こしましょう。 ジャバジャバ-。
ハイ♪手作りチャイのできあがり♪
チャイはインドでは定番の飲み物である。
僕らは喜んで彼らの後に付いていくと……。
何のことは無いシルクの店だった(泣)。
シルク屋の主人は、僕らの前で綺麗に巻いてあるシルクの巻物を惜しみも無く、何度も何度も広げて見せてくれるのである。
「どうせ買わないからもういいよ」と言いたくなる。
しかし、強く断らないかぎり、店の主人は永遠とシルクの巻物を広げ続けて僕らに交渉してくるのだ。
子ども達には旅行者を連れて来るだけでお小遣い(マネー)が発生するようだ。
アコちゃんは昼間にも一人で船に乗りに行ったとき、違う船頭にチャイを飲まされそうになり、こっそり器ごとガンガーに沈めてきたという……。
やはり、ぷる君の忠告どおりノースリーブのアコちゃんだけがセクハラの対象になった一日であった。
シャワーを浴びる時は、便器をまたいで浴びることになる。
床が汚いので僕らはビーチサンダルでシャワーを浴びる。
用を足す時は、トイレットペーパーなどは使わず、左手の素手でお尻を拭くことになるのである。
右手でご飯を食べ、握手する時も左手は使わない。これインドの常識。
バラナシへの電車の中でも10回はトイレに行った。
なので、バラナシに着いてからも、近くにトイレがないと非常に不安であった。
しかしネットカフェで合流組みの仲間にメールで連絡しなくてはいけないし、ブログも更新したい。
オラは頑張ってネット屋まで足をはこんだ。
しかしインドのネット環境はかなり悪い。
写真を載せたページを更新しようと頑張るが、なかなか進まない。
その時オラのお腹の中ではドキンちゃんが暴れまわっている。
こういう時は、お腹にたまったガスだけを上手く出してやると少しは楽になるはずだ……。
しかし、これはかなり危険な賭けである。
よし、ここは一か八かガス出しに挑戦だ。
片方のお尻を少し浮かせてゆっくりゆっくりお尻の穴の緊張を緩めていく。
ガスが抜けたあと、0.01秒の差で穴を閉めると大成功。
オラはお尻の穴に全神経を集中させた。
お腹に力を入れてガスを送っていく……。
プスッ
ギュッ
よし、多分成功。
お腹はかなり癒された。
しかし次の陣痛のような痛みが襲ってくる前に早くネットを終わらせて宿に帰らなくては、
仕切りなおしてお尻をイスにつけた瞬間、変な違和感……。
オラは早々ネットを終わらせ宿に走った。
宿のトイレに駆け込んで恐る恐る確かめてみる
あっ、やはりパンツにシミが……。
早く証拠を隠滅しなければ。
しかし断水で水が出ない……。
どうしよう(泣)。
仕方がないので、ぷる君のミネラルウォーターを拝借することにした。
コロコロポチャン!
オラは誤ってミネラルウォーターのフタを便器に落としてしまった。
水をジャーと流して元ある場所にそっと返しておいた。
衣料品店に入り、「ちょっと見ていってもいいですか?」と尋ねると、店員さんは首を横にかしげる。一瞬「えっ、あかんの!?」と思ってしまう。
しかし、店員さんにとっては、これはどうぞ、のサインなのだ。
道を聞く時もどっちなのかよく分からなくなる。
この行為は不安になるので辞めて欲しい。
インド人の返事は紛らわしい……。
坂道で台車が止まってしまい、全く動かなくなってしまった。
困った人を見ると助けてあげたくなるのが日本人だ!
オラは坂道の上まで押すのを手伝ってあげたが、少年はオラの顔も見ずにそのまま行ってしまった。周りの人の冷たい視線を感じた気がした。
何か、余計な事をしてしまった気分になった……。