さまざまな奇岩が海に突き出した風景は桂林に似ており、「海の桂林」とも呼ばれている。
ハロンとは「龍が降りた場所」という意味があり、かつてこの地を侵略していた敵を、天から降り立った龍が、撃退したと言われている。
ハロン湾観光
ハノイ市内から約3時間の送迎付き 1泊2食付きツアー25米ドル(約2925円)
ハロン湾クルーズの巻
ハノイに到着した翌朝、宿を別れた仲間達と合流し、銀行を探すため、街を歩いた。
ハノイには湖がいくつもあり、僕らの泊まっている旧市街地にも湖があった。
道の両側には、おもちゃ屋、雑貨屋、洋服店など昭和の日本を思わすような個人商店がいくつも軒を並べている。
特にバイク屋がやたら多いと感じた。
それもそのはず、道路を走る乗り物は車より圧倒的にバイクの数が多いのである。
ハノイの街は、昨日の夜とは、うって変わって、交通量の激しい騒々しい街になっていた。
この国ではバイクを使ったタクシーが多く、乗っていかないかと、しきりに声をかけてくる。
果物を乗せたかごを肩からぶら下げているおばちゃん達が僕らとすれ違いざまにパイナップルやバナナを買わないかと誘ってくる。
中国とは陸続きなのにまるで商売の仕方や街の雰囲気が違うのでなんか新鮮味があって楽しい。
僕らは、湖のほとりに銀行を発見した。
しかしそこでは何故か隣国の中国(元)からベトナム(ドン)への換金ができない様であった。
仕方がないので別の換金所を探すことに……。
僕らは街ですれ違った一般のベトナム人の男の人に中国元の換金ができる店を聞いてみた。
「ああ、それなら僕が換金してあげるよ」 現地の男の人は、さもあたりまえの様に言ってくるのだった。
「えー、うそー、で幾らなの?」オラは一般市民もとっさに商売を考えるなんて凄いと思った。
でもやはりその男の人のいうレートがあまりにも高いので、今回は残った中国元の換金はあきらめて銀行でトラベラーズチェックを使い換金した。
夕方、先にベトナムを移動していた博士タイプのぷる君からのメールを見ると、中国元の換金は、街の金ショップの二階で両替をしているので、そこが一番安いという情報を得た。さすがぷる君頼りになるなぁ。
さぁ、お金も手に入ったことだし、次のお仕事だ。
昨晩オラが泊まった『カンガルーホテル』1泊一人3米ドル(約351円)に8人分の空きが取れたので、違うホテルに泊まっていた仲間もこっちに移動してもらうことになった。
そのホテルの1階には、シンカフェという旅行代理店があり、そこで、オラが今回のベトナム旅行で一番の楽しみにしていたハロン湾観光1泊ツアー25米ドル(2925円)の予約と共に、次の移動のため、ベトナムを縦断するバスチケットを購入した。ベトナムでは外国人旅行者向けのオープンチケットバスツアーというのがある。
『ハノイ』→『フエ』→『ニャチャン』→『ホーチンミン』と僕らが行きたいところへ自由に乗り降りができる、とっても便利なチケットだ。
しかも乗客の好むゲストハウスまで紹介して回ってくれるのである。
ハノイからホーチンミンまでのオープンバスチケット一人29米ドル(約3393円)であった。
翌朝、ハロン湾ツアーのミニバスがハノイの宿に迎えに来てくれた。
宿から3時間ほどで港に着き、1泊2日のクルージングを楽しむ予定であった。
港に向かうバスの中で、なんと僕らは日帰りツアーのグループに交じっていることが判明。
どうやらツアー会社の手違いだったらしく、早く気づいたおかげで、1泊2日ツアーの船に無事乗り込む事ができた。
さすが、ハロン湾は世界遺産に登録されているだけあって、港には、世界各国からの観光客が訪れていた。
特にベトナムは欧米人旅行者に人気が高いように思われた。
僕らの乗り込んだ船は、全長20メートルくらいの二階建ての木目調の船であった。
船に乗り込むと、いきなりランチが始まった。
しかし旅行会社の手違いがあったため、僕らのテーブルの席が確保されて無かった。
仕方がないので全員バラバラの席に座り、食事を取ることとなった。
食事が終わり、甲板に出ると、エメラルド色の海から突き出た無数の島影が、幻想的で迫力のある景観を造り出していた。
ようちゃんがみんなに「2階の一番高い甲板に上ろう」と言ってきた。
雲ひとつ無い晴れ渡った空の下で、僕らは、大の字になって寝そべった。
頭上をカモメが通り過ぎ、潮の香りと、潮風が頬にあたる感じが心地よい。
辺りは静かな波の音と船のポンポンポンというエンジン音だけが聞えてくる……。
いつの間にか、夕焼け空になり、空と海がオレンジ色になっていた。
みんなはすっかり寝てしまっているようだ。
しばらくすると、船のエンジン音が止った。
どうやらスイミングポイントに到着したようだ。
乗客のみんなは船の上からダイブ!
水着を持ってないようちゃんはパンイチでザブーン!
オラも調子に乗って船の帆の上からバク宙して飛び込んでやろうと服を脱ぎ始めたところ、遠くからマッキーのかん高い声が飛んできた。
「あんたぁ! 風邪ッピキのクセしてまさか泳ぐんちゃうやろなぁ!?
また熱でも出したらみんなに迷惑かかるんわかってるわなぁ!」
出たぁ、看護師マッキー。
お前はおかんか!?
マッキーはオラの横で半ケツになっていた菊ちゃんにも鋭い視線を浴びせかけた。
オラより風邪の状態が酷い菊ちゃんは泳ぎたくてしょうがなかった気持ちを抑え、仕方無しにズボンを履き直した。
オラと菊ちゃんは、ようちゃん達の楽しんでいる姿を、甲板の手すりにふたり並んで、指をくわえ眺めていた……。
この辺りは、小島に囲まれてる海なので波があまりたたない。
親子連れの手漕ぎボートが僕らの船にフルーツなどを売りに来る。
なんと、この人達はみなイカダの上で生活しているのだ。
海の上にイカダでできた家があり、それらがひとつの村になっていて、村の中には小学校まであるのには驚いた。
じゃぁ、僕らのお宿もイカダの上?
残念ながら違った。
小島のホテルか船のベッドかを選べるようだった。
小島に着いた頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
僕らは小島のホテルに1泊することにした。
翌日は世界遺産の島々を巡ったり、洞窟のある島を探検したりした。ハロン湾ツアーはのんびりしながら景色を楽しめるので、長旅の僕らの疲れを癒してくれるいい機会になった。
仲間での旅
ハロン湾観光からハノイの『カンガルーホテル』に帰ってきたのは16時だった。
僕らは、フエ行きのバスの出発時刻18時まで、自由行動の時間を取った。
みんなは、夕食や買い物を済ませるため、急いで宿を出ていった。
オラとマッキーは次の移動地の情報を宿のインターネットで調べた後、食事にいった。
しかしこの後、事件が起こった。
オラが帰ってきた時、既にみんなは戻っていて、あけちゃんが一人フロントの前で交渉中であった。
その日のハノイ市内は、どうやらお祭りがあるみたいで、バスが予定より早く出発してしまったのだ。
チケットの払い戻しや別の交通手段など、後から来たようちゃんとオラも加わり、交渉を続けていた。
すると突然、あけちゃんが席をはずした。
あけちゃんがなかなか帰ってこないことを心配し、ようちゃんが彼女の様子を見に行った。
しばらくして、ようちゃんが深刻そうな表情で僕らの元に戻ってきた。
どうやらあけちゃんは、誰にも気づかれないようにひとり部屋にこもって泣いていたようだ。
ようちゃんの話によると、バスが予定より早く出発してしまった事を一番に聞かされたのは、最初に宿に戻ってきたあけちゃんだったそうだ。
フロントの姉さんにフエ行きのバスが予定より30分早まる事を突然告げられ、どうするのかと急かされた。
しかし、あけちゃんはバラバラになった僕らに連絡を取る術は無かった。
みんなが早く帰って来ることを願ったが、みんなが帰ってきた時には無情にもバスは既に行ってしまった後だった。
フロントで一生懸命交渉している最中、戻ってきた他のメンバーは、ボーっとしたり、パソコンで遊んでいたりしていた。
その態度があけちゃんには、あまりにも無責任に思えた。そして感情が抑えられなくなってしまったのだ。
そんなあけちゃんの心を知ったみんなは、急いで彼女の部屋に駆け寄った。
ドアをノックし、ゆっくりと僕らは部屋に入った。
「交渉で私が借り出されるのは苦じゃないの、でも起こった責任までは私には取れないわ。
もっとみんなも真剣に起こった状況を把握して欲しい」彼女は、目じりに溜まった涙を拭うと、キリッとした顔立ちに変わり、みんなに話した。
みんなは困惑の表情を浮かべていた。
「みんなの旅だからひとりに任せっぱなしはダメなのは分るよ。
でも、あの狭いフロントのスペースで、お姉さんとどんな交渉しているか聞きに行きたくても行けなかったんよ」マッキーは言い難そうに話した。
確かにフロントに全員が立ち会うのは無理なので交渉中の内容は後でみんなに説明する形になってしまう。
それに大事な交渉のやり取りでは英語の得意なあけちゃんにどうしても頼ってしまう。
しかし、このままでは、みんなの気持ちがバラバラになってしまうと思った。
いつまでもあけちゃんに頼っててはいけないんやと思った。
オラはもうちょっと英語をうまく喋れるようになり、彼女の負担を減らせる様になりたいと思った。
また仲間での旅に対しては、まだまだ難しい課題が多いと感じた。
今回の事件に関しては、仲間同士の緊張感が無くなり、グループ独特の誰かがやってくれるだろうという、甘えが出てきたのだと思う。
グループの難しいところはそこなんだと思った。
でもそんなんじゃ仲間での旅は続けられない。
オラは、旅のルートとスケジュールをもう一度全員に伝える事にした。
他の仲間との合流がある、インドまでの日程をもう一度みんなに伝えた。
自分達の旅がどのように進んでいるのかを理解することで、自分自身がこの旅で出来ることを考えてもらえると思ったからだ。
結局、当日に別の移動手段を取ることも考えたが、今はなんとか調整ができる状態であることをみんなに伝えた。
そして今回は、体調が悪いメンバーもいたので、みんなで話し合った結果、同じ宿にもう一泊することに決めた。
この事件を機にみんなは、旅を進めていく中での、それぞれの動き方を意識するようになっていった。