首都カイロは、エジプト・ギリシャ・ローマ・イスラムなどの文明が混ざり合い、独特の文化を形成している。
だが、歴史遺産だけがエジプトの魅力ではない。
旅の風情を盛り上げるナイル川でのクルーズや、アラビア半島とアフリカ大陸を隔てる紅海のダイビングも人気である。
1エジプトポンド=約22円 (当時2007年1月7日~25日)
現在のレート
アラビアで合流の巻
ケニアのナイロビ空港からエジプトのカイロ空港へは約4時間で到着した。
現地時間14時20分である。
カイロでは、新たに3人の女の子達が合流予定だ。
一日目はケイちゃんという女の子とカイロ市内のサファリホテルで落ち合う予定であった。
オラとケイちゃんとはメールのみのやりとりだったので、実際に会うのは今回が初めてだ。
実は彼女も僕らと一緒に日本から旅する予定だったが、残念ながら彼女とは旅のスケジュールが会わなかった。
ケイちゃんは、僕らとは逆の東周りの旅を計画していたからだ。
でもせっかくなので、僕らとすれ違う予定のエジプト国内だけでも一緒に観光しようということになった。
メールでの印象はかなりしっかり者な女の子という感じだった。
僕らはまず、カイロ市内のタフリール広場を目指すため、空港でバスを捜した。
長旅に慣れ過ぎた僕らは、エジプトのことをあまり勉強せずにやってきたので、案内板の文字や数字がアラビア文字で書かれていることに少し戸惑ってしまった。
今までの国では、数字は全て漢数字か英数字だったのに対して、この国では時計台の文字や商品の値札もアラビア文字の数字である。オラには何が書いてあるのか解らずチンプンカンプンであった。
せめてアラビア文字の数字くらいは覚えておかないと乗りたいバスの番号を探すのさえも苦労するのだということを思い知った。
そして僕らはバス乗り場の係員に聞いてなんとか、タフリール広場行きのバスに乗り込んだ。
嬉しい事に、ここエジプトは物価がかなり安い。空港からタフリール広場まで約25キロ間の距離だが、バス代がたったの2ポンド(約44円)だった。
カイロの景色は、今までのアフリカの風景とは異なっていた。
世界一の長さを誇るナイル川を横目に砂色っぽい単色のビルやマンションが立ち並び、道路はたくさんの車で渋滞していた。
マッキーが、「何かインドのコルカタを思い出さへん?」と言ってきた。
そういえば古いマンションやビルの作り、道路の渋滞の様子など、カイロは初めてなのにどことなくインドの街に似ているような、そんな懐かしさを感じさせた。
タフリール広場に着いた僕らは、宿を確保するため、先にゲストハウスに向かう者(ようちゃん・ぷる君・菊ちゃん・あけちゃん)と、旅行会社に向かう者(いざぽん、マッキー、ダイタ、めぐみちゃん)に別れて行動した。
旅行会社へ行くのは次の移動手段の情報収集とマッキーの帰国のチケットを買うためである。
僕らが向かった『エジトラベル』は、ザンビアで会った旅行者に教えてもらった旅行会社で、タフリール広場の近くにある日本人スタッフがいてとても親切に対応してくれると聞いていたのだ。
しかしこの日はアラブの休日だったため、残念ながらエジトラベルは閉まっていた。
仕方がないので、旅行会社は明日出なおすことにして、タフリール広場から1キロ程離れている僕らの泊まるサファリホテルに向かってテクテク歩いた。
ここはタラアト・ハルブストリートという大きな通りで、2車線の道路をまたいでたくさんのお店が軒を連ねていた。
レストラン・洋服店・雑貨屋・果物屋・カー用品店まで、何でも揃いそうな賑やかな街の通りであった。
少し路地を入るとシーシャ(水タバコ)のお店がところどころに点在していた。
シーシャとは、ガラスの壺の中に水を張り、その壺の上にタバコの葉を置いて炭で燃やし、壺の中の水にくぐらせた煙をパイプで吸うタバコのことである。
少し興味があったので目に入った一店の中に入ると、現地のおっちゃん達が、テーブルの椅子に座ってシーシャを吸いながら会話を楽しんでいたり、“バックギャモン”というボードゲームで対戦したりしていた。
テーブルに置いてある飲み物は大抵チャイである。
エジプト人は宗教上お酒を飲まないので、こういったお店が街の社交場になるのだろう。
日本で言ったら一杯飲み屋的な場所かなぁとオラは思った。
ちなみにインドやネパールなどのチャイはミルク紅茶だったが、エジプトのチャイは、ミルク無しの紅茶である。
店を出て宿に向かい街を歩いていると、先に宿に到着していたぷる君とようちゃんに出くわした。
わざわざ僕らを迎えに来てくれたらしい。
なぜか、ふたりのテンションがやたらと高い。宿で待っていたしっかり者のケイちゃんが可愛かったのだろうか……?
「どうしたん? ふたりとも……。宿でなんかいいことでもあったん?」オラは、ふたりの表情から見ておおよその見当はついていたものの、一応聞いてみた。
「まじ、かわいい!!」ぷる君がニタニタしながら言った。
やはり予想通りケイちゃんは可愛いかったようだ。
僕らの目指すサファリホテルは、地下鉄ナセル駅から歩いてすぐにあるビルの6階にあった。
階段の横には古い小さなエレベーターが設置してあったが、あまりにも錆びれており、とてもじゃないが動きそうなシロモノではなかった。
ぷる君は、これも修行のうちだと言って、駆け足でビルの階段を上がっていった。
まだバックパックを担いだままの僕らは、ゼイゼイ言いながら階段を上ったのであった。
ホテルのドアを開けるとロビーには人があふれ、やたら日本人が多いのにビックリした。
棚には日本語の小説や漫画などがいっぱいで、一瞬、日本にいるのかと錯覚してしまうぐらいだった。
サファリホテルはドミトリー部屋のみで、料金は一人1泊11ポンド(約240円)となんとまぁ安いこと。
ここには、3年くらい宿に泊まり続けている主のような日本人もいるのだが、この安さなら、ホテルを自宅代わりに使用する人達がいてもおかしくないなぁと思った。
宿泊客達は本を読んだり、トランプをしていたり、会話を楽しんだりしながらそれぞれ自由な時間を過ごしていた。
その中でロングヘアーの一人の女性が、オラに声をかけてきた。
「いざぽんさんですか!? はじめまして!! ……」その子がケイちゃんだった。
ケイちゃんは思った通りハキハキと喋り、シッカリ者の明るい雰囲気の女性であった。
その日の夜はケイちゃんや宿の日本人達と夜更けまで宴会を続けた……。
それにしても、合流したケイちゃんの飲みっぷりにはビックリ!
自分で持参したブランデーを1本飲み干すと、今度はオラがケニアから持ってきた半分は残っていた5リッターパックの残りのワインまでもペロリと全部飲み干してしまった。
なかなかの酒豪ぶりである。そんなケイちゃんとは1週間だけ一緒にエジプトを観光する予定である。
なんだか、賑やかな旅になりそうな気がした。
信号が赤になっても全然止まらない車も多い。
歩行者は車がビュンビュン走っている中、交差点を渡らなくてはならない。
歩行者がいても、車はブレーキを踏まず、そのままのスピードでクラクションを鳴らしながら走ってくるのだ。
地元の人達は平然と片側3車線くらいある道を渡っている。
しかも1車線ずつ、車を一台一台交わしながら上手に渡って行くのである。
親子連れや子供達や腰の曲がったおばあちゃんまでもが、スタスタ渡って行く。
でも慣れない日本人はいつまで経っても渡れない。
僕らも地元の人達の横断のタイミングにあわせて付いていかないと怖くて渡れないのである。
「タヒーナ」というごまのペーストをアエーシにつけたり、野菜をのせたりして食べる。
コシャリはエジプトの料理の定番中の定番。
米、マカロニやスパゲッティなどのパスタと豆をミックスしたものに揚げた玉ねぎとトマトソースをかけた料理で、酢と辛味ソースをかけて食べる。僕らはファーストフードのような感覚で食べていた。
3.