海の反対側の山々は、夕方には赤茶けた岩山群が夕陽に映えて真っ赤に燃え上がり、この地方独特の山の雰囲気をかもし出していた。
比較的物価の安いそのビーチリゾートは、バックパッカーには人気のスポットである。
ダハブのビーチ沿いの遊歩道にはたくさんのレストランやおみやげ物屋さん、ダイビングショップが並ぶ。
ゲストハウスやレストランなどは、食堂にクッションなどのソファーを用意し、ゆっくりできる居心地重視の配慮を施したお店が多い。
カイロのトルゴーマンバスターミナルからダハブのバスステーションまでは約8時間の移動で一日に数本のバスが出ている。
昼間の便は値段が70ポンド(約1540円)で席も空いている。
僕らは移動時間を節約するために夜行バスを利用した。
値段は80ポンド(約1760円)である。
夜行のチケットはすぐ売り切れると聞いていたので、前もってチケットを購入することにした。
トルゴーマンを0時15分に出発、ダハブ到着は8時半だった。
冬場の車内は冷えるので、かなり暖かい格好をしないと辛い。
シナイ半島は半年前にテロ事件があった付近なので2時間おきぐらいにバスが停められ、パスポートのチェックが入って寝られやしなかった。
エジプト最後の地、紅海の巻
白砂漠ツアーから帰ってきた翌日、カイロから夜行バスに乗ってエジプト最後の目的地、ダハブに行くことになった。
ダハブは紅海に面したシナイ半島のリゾート地である。
しっかり者のケイちゃんとは、カイロでお別れである。
この後ケイちゃんは、インドに向かうらしい……。
彼女とは一週間だけの付き合いだったが、仲間の輪にすぐに溶け込むことができほんと仲良くなった。
なのにすぐにお別れするのはもったいないと感じた。
そんな、名残惜しさも募る中、僕らを乗せたバスは出発した。
カイロのトルゴーマンバスターミナルを夜中0時15分に出発し、約8時間で到着する予定である。
移動中は何箇所も検問所があり、その度僕らは起こされた。
どうやらこのあたり(シナイ半島)では毎年のように爆弾テロ事件が起こっていたようである。
結局オラはバスの中では眠れず、そのまま朝を迎えることとなってしまった。
真っ暗だった車窓からの景色は、ゆっくりとその全貌をあらわにさせた。
切り立った山々が徐々に朝陽の光で赤く染まりだし、荒々しい岩山と砂漠がどこまでも続いていた。
そんな自然の造形美がオラにはとても魅力的に感じた。
そしてダハブ到着は朝の8時半であった。
ここダハブでは、みんなの旅の疲れを癒すためと、マッキーの再合流の調整も兼ねて6日間の滞在を決めた。
紅海はダイバーのあこがれの海である。
オラも一応ダイバーなので一度は潜ってみたかった。
けれども趣味のダイビングは諦めることにした。
オラの世界一周はあと2ヶ月もあるというのに残りの予算が40万円を切ってしまったからだ。
アフリカの物価が予想より高かった事と、お酒やアクティビティーなどに贅沢し過ぎたことが原因であろう。
これからどんどん物価が高い国に移動する事になる。
特に最後のオーロラツアーは高額だと聞いているのに、この先オラのふところ具合は大丈夫であろうか……。
ところが幸いにして、ここダハブは、リゾート地にしてはとても物価が安い。
僕らの泊まった宿、セブンヘブンは、一人1泊7.5ポンド(約165円)で泊まれる。
貧乏旅行のバックッパッカーにとってはとても嬉しい天国のような場所であった。
こんなに物価が安いなら少しくらいは遊びにお金を使ってもいいんじゃないかと一瞬考えたが、それでもダイビングはあきらめることにした。
海沿いの道には、椰子の木が植えつけられ、レストランやお土産屋がずらりと並び、まさにリゾート地である。
僕らの宿の前は一面ブルーの海が広がり最高のロケーションであった。
ダハブの街をうろうろしていると、ちまたで面白いと有名なダイビングの日本人ガイド、タコさんとめぐりあった。
彼のことはサファリホテルの情報ノートや旅行者との会話の中でもよく出てきていたので、なんとなく親しみがあった。
あけちゃん達が先にダハブに寄って、ダイビングをしてから次に移動すると聞いていたので、オラは彼女らがタコさんのダイビングショップに立ち寄ってないか気になっていた。
「つい最近、ド派手なピンクの女と全身ブルー男のバカップルを見ませんでした?」 ぷる君がタコさんに面白半分に聞いてみた。
「あー、いたいた! おもしろい、カップルがうちに来たよ!」
タコさんが、あけちゃんのかん高い声と、菊ちゃんのガニ股でのそのそと歩く姿の、ものまねをしてみせたので、それがあけちゃんと菊ちゃんだとすぐに解った。
やはり、二人は目立つよなぁ~。
なんか嬉しい気分になった。
宿に戻るとシュノーケリングの装備が無料で借りられるみたいだったので早速、僕らは装備を身につけ、目の前の海にザブンと飛び込んだ!
海面からは真っ青に見えた海が、ひとたび潜ると、そこはどこまでも透明に透き通った海の世界であった。
色とりどりの魚の群れが僕らのまわりを囲んでいる。
すげー、陸から10メートルほど沖へ泳いで潜れば、まるで竜宮城の世界のようだ。
足元では、ダイバー達も潜っている。
ここならシュノーケリングだけでも楽しめるじゃん。
オラとようちゃんは毎日シュノーケリングでダハブの海を楽しむことにした。
翌日、海岸線を一人で散歩していた。
でも何か手持ち無沙汰な感じがしていた。
そうだ、いつも暇な時に叩いていた両面太鼓『マダール』が無かったんだ。
カイロ空港でマッキーが日本に帰国した時にオラは、ネパールで買ったバイオリンのような楽器『サーラギ』とマダール太鼓を一緒に持ち帰ってもらった。
マダールはいつも首からぶら下げて持ち歩いていたので、暇なときはいつもポコポコ叩いて遊んでいた。
ところが旅を続けていくうちにどんどん荷物が増えていったので、少しは減らさないといけないと思い、マッキーに持ち帰ってもらったのである。
しかし今度は手持ち無沙汰でなんだか寂しい……。
オラにはエジプトに入ってから気になっていた楽器があった。
“タブラ”というエジプトの楽器である。
タブラはアルミのボディーにビニールを張った大きな太鼓(大きさ42センチ重さ3キロ)であり、エジプトのテンポのいい曲や、ベリーダンスの音楽にも大抵この太鼓が使われていた。
オラは白砂漠ツアーのキャンプの時に、一度タブラを叩かせてもらって以来、この響きのいいドラム音の魅力にハマってしまったのだ。
でもオラが嬉しそうにその大きな太鼓をマッキーに見せたらきっと言われるやろなぁ……。
「あんたぁ、途中で飽きるようなネパールの太鼓とか、全然弾くこともできなかった、訳の分かれへんバイオリンみたいな楽器を誰が苦労して持って帰ってあげたんやと思ってんの!? そやのにまたそんな重そうな楽器買いおってからにぃ!!」
やっぱ買うのはやめた方がいいかなぁ……。
しかし、いったん欲しい物があったら気になってしょうがないものである。
海沿いにずらりと並んでいるエジプトタブラが置いていそうなお土産屋さんをオラはいつの間にか転々としていて、そのうちどうしても欲しくなり、とうとうタブラを買ってしまったのであった。
夕方浜辺で、さっそく購入した“タブラ”の練習をしていると、一人のアラブ人の若い男が近づいてきた。
どうやら下手くそにタブラを叩いていたオラの姿を見て、本当のタブラの叩き方を教えてくれるみたいであった。
彼は「こうやって叩くんだよ」と言って、なめらかに指先を使い、時にはやさしく、時には力強くリズミカルにオラのタブラを叩き出した。
彼の生み出すドラムの音色は妖艶で、まるで本場のエジプトソングのCDを聞いているかのような感覚におちいった。
「凄い凄い、もっと教えて!!」オラはすっかり彼のドラムの音色に聞きほれてしまった。
そしてオラに初歩的なタブラの叩き方を丁寧に教えてくれた。
オラは親切な彼にいつの間にか親しみがわいてきた。
「オラの名前はイザポン。君の名前は?」
「オレの名前はモハメッド、この近くの宿のレストランで働いているんだ」彼は陽気な声で答えてくれた。
「そうなんや? オラは日本からいろんな国を周りながら旅してるねん。でもここダハブは凄く居心地のいい場所だよね?」
オラがへたくそな英語で問いかけると、モハメッドはオラの英語力の無さを気づかいながらゆっくりと、分かりやすい言葉で喋ってくれた。
「そうだろ? 僕もすぐに気にいって、この場所で働き出したんだよ、ほら夕方になると、このとおり山が真っ赤に燃え、とても綺麗だろ?」
モハメッドが指さす方向を見ると、夕陽の光が映し出された山並みがアプリコット色に輝き、青い海とのコントラストが最高に綺麗だった。
「この土地はもっともっとリゾート化されてどんどん開拓されていくんだよ。ほらこの先のお土産屋の前の道路が工事されているだろ? この道のずっと先に高級ホテルが幾つか建つようになるんだ」
モハメッドは目をキラキラさせながら言っていた。
そうか……。
モハメッドはしばらくオラのタブラを叩いた後、仕事があるからと言って立ち去っていった。
オラはモハメッドにタブラを教えてくれたお礼を言って手を振った。
オラは引き続きモハメッドに教えてもらったリズム感をマスターするためにしばらくタブラを叩きながらも、モハメッドが言っていたことを思い出していた。
モハメッドはダハブの街が開拓されていくことを喜んでいたけど……。
でもリゾート化されている海はエジプトには他にもたくさんある。
高級ホテルやお土産屋やレストランが立ち並ぶ便利な海岸には多くの家族連れやカップルの旅行者がバカンスを楽しみにやって来る。
でもそういう所はやはり物価が高くて貧乏バックパッカーはどうしてもそういう場所は避けてしまう。
あえて僕らは物価の安いダハブに来ているのだ。
そういう穴場的な場所がどんどん無くなって行くのはなんか寂しい気分になってしまうのであった。