登山と言えばヒマラヤ。世界最高峰エベレストを始め8,000m級の大山脈がひしめく地である。
1ネパールルピー=約1.03円 (2016年2月現在)
1ネパールルピー=約1.8円 (当時2006年11月19日~26日)
トラブル続きのネパール移動の巻
謎の高熱にみまわれたようちゃんは、一泊の入院ですっかり良くなったようだ。
早速、宿の主人のラジャさんに翌日出発のネパール行きのツアーを再度申し込んでもらった。
ツアー内容は、1日目は、バラナシから国境(スノウリ)まで約6時間かけてバスで移動し、ネパール側のゲストハウスで1泊。
そして2日目は、更に9時間の移動を経て、夕方ポカラに到着の予定だ。国境越えのバス運賃、朝食二回分と宿泊費を含んだツアー代金は、600インドルピー(約1700円)であった。
しかし、出発前日の夜に、ツアーのバスが急に壊れたと宿に連絡があった。
ツアー会社が手配するローカルバスで移動して欲しいとのことである。
ローカルバスは、本来のツアーバスのようにネパールに行くのを目的にしているバスではなく、地元の人達が使う普通の路線バスなので時間もかかるし、僕らがツアーの行程通りにうまくたどり着ける保証はない。
心配したラジャさんがツアー会社に席の確保とその他、僕らのフォローをするように電話で頼んでくれた。
電話を切ったあと、心配そうにしている僕らに対してラジャさんは、「ちゃんとツアー会社に頼んでおいたから大丈夫だよ~」と言う。
ところがそのわりには、「無事に到着したら電話してね?」としきりに僕らに言うので、逆にオラは心配だった。
オラの推測では普段からトラブルが多い会社だからラジャさんは念は押したものの、本当は僕らがすんなりポカラに到着できるか心配なのじゃないかと思ったからだ。
翌日の朝7時半。オラ・ようちゃん・マッキーの3人は、ラジャさんに用意してもらったオートリクシャーに乗ってバラナシ駅近くのツアー会社に向かって走った。
出発して数分後、運転手の兄ちゃんが呟くように言った。
「今走っているところは車両進入禁止だから、あそこで罰金取られるよ。20ルピー準備しといてね」
「なんで、僕らが罰金払わなあかんねん!!」と思わずツッコミたかったが、言葉が通じないふりをして無視していた。
しかし早く払えとしつこかったので、運転手のお金の持ち合わせが無いのかと思い、とりあえず20ルピーは先に払ってあげることにした。
ラジャさんが宿からツアー会社までは、3人で80ルピーだと言っていたので、降りる時に運転手に60ルピー払えば問題ないと思った。
そして数分後ツアー会社到着。
「はい着いたよ。80ルピー」ようちゃんが無視して60ルピーだけを渡す。
「あれ、残り20ルピーは?」
「さっき渡したやんか!!」
「さっきのは罰金だ。はい20ルピー!!」
「何言ってんねん!! 違反したのはお前やろ!! 客に罰金払わせんのか!?」
「そりゃそうさ、移動中にかかったお金は君達が払うのが当然だ!!」
「そんなお金絶対払わへんから!!」マッキーが強い口調で言った。
「こんなんじゃ話が違う! 宿に戻るぞ!!」運転手の兄ちゃんは僕らを捲し立てるように言ってきた。
「何が、戻るじゃ、ボケー!! 文句があるならラジャに言え!!」僕らも負けじと言い放った。
「え? ラジャ?」急に運転手の勢いが止まった……。
ん? ラジャさんはそんなに偉大なのか!?……。
とりあえず無事解決したが、朝から興奮させられたせいで、みんなは疲れてため息をついていた。
しかし移動のトラブルはまだまだこれからであった。
ツアー会社の前では僕ら以外に二人の日本人と残りは欧米人のバックパッカー達計15人が待っていた。
朝食にチャイと食パンが配られ、バスが来るのを待った。
ところが、約束の時間を1時間待っても2時間待ってもツアー会社から出発の声がかからない。
他のバックパッカーのみんなもイライラしている様子。
ツアー会社の壁を蹴っている欧米人の男もいた。
9時半出発の予定だったが、結局12時過ぎまで僕らは待たされた。
しばらくしてようやくやってきた車は、どう見てもこれには全員は乗れないだろうと思うような5~6人乗りの普通のジープ車であった。
僕ら3人とヨーロッパ人のカップルを残して、他の人達はその車に無理矢理詰め込まれていた。
僕ら以外はバスが壊れたことを聞かされてなかったようでかなりブーブー言いながら、そのすし詰め状態の車で行ってしまった。
残った僕ら含めた5人は一般のバス乗り場に案内され、ローカルバスに乗ることとなった。
オラ、マッキー、ようちゃんは、後ろの席を確保した。
後から乗ってきたヨーロッパ人カップルは何やら運転手と揉めているようだ。
なんと、バス代を二重請求されたみたいなのだ。
カップルは、怒ってバスを降り、ツアー会社のおやじになにやら文句を言っている様子。
僕らもバス代を請求されると困るので、そのカップルに続いて降りることにした。
カップルはツアー会社の人をののしった後、どこかに消えていった。
僕らは大丈夫なのかと不安になり、ツアー会社のおやじに何度も確認をとった。
しかしツアー会社のおやじは、「君達はちゃんと話は通っているし大丈夫だ」という。
じゃぁ、あのカップルは何だったの? やはりラジャさんの配慮のおかげなのかなぁと思った。
ラジャさんは、日本のラジオ番組にも出演したことがあるぐらい海外でも有名人で、地元ではかなり顔が広かったからだ。
僕らは、「乗り継ぎや宿への移動など、ポカラに着くまではちゃんと面倒見てくれよな!?」とツアー会社のおやじに念押した。
そして再びローカルバスに乗り込んだものの不安な気持ちは全く収まらなかった。
ローカルバスは各バス停に止まっていくせいか辺りが真っ暗になっても全く国境に着く様子がない。
ここはどこなのだろう?
予定では夕方には国境なんだけど……。
不安な気持ちはますます募る。
22時頃になってようやく終点に着いたようだ。
しかしここはまだ国境のスノウリではない。
運転手に聞くと、もうすぐ乗り換えバスがやってくるので、それに乗って行けという。
僕らは道路の端にしゃがみ込みバスが来るのを待った。
疲れのせいもあり、お互い口数も少なくなっていた。
しばらくすると目の前に無人のバスが停まった。
マッキーが、「あのバスかなぁ?」と言うが、オラもようちゃんもすぐには立ちあがろうとしなかった。
なぜならそのバスはフロントガラスにヒビが入りまくっていて、車体もボロボロで、いくらインドだからといっても、これに人が乗るとは思えないくらいの廃車寸前のバスだったからである。
しかし万が一のことも考えて、そのバスの運転手に聞いてみると、スノウリ行きのバスはこれで合っていると言われた。
「えー!! やっぱこれに乗るの?」
目を疑うような汚いバスだったが、仕方がないのでそのままバスに乗り込んだ。
オラは真っ暗なバスの車内の座席に腰を降ろし、足元に荷物を降ろした。
前の座席の背もたれに手をついた瞬間「えっ!」と手のひらに違和感があった。
手が砂ぼこりで真っ白になったのである。
オラは、車内がホコリだらけだということに気づき、そう思うと急にくしゃみがでてきた。
ふとマッキーを見るとちゃっかりマスクをしてあり、ようちゃんもすでに口に布を巻いていた。
後から乗ってきたインド人達は、布で座席をきちんと拭いてから座っている。
オラは、真っ暗で気づかずにホコリだらけの座席に座ってしまっていたのである。
暗くてどれだけ汚れたかわからないし、ホコリが舞うのも迷惑なので、服を叩くのは諦めることにした。
そこから山道を走り、更に2時間後、とうとうスノウリ国境到着。
乗客は僕ら以外には、もうすでに誰もいなかった。
街灯に照らされたお互いの姿は、鼻の頭はススで真っ黒、服やバックパックは砂ぼこりで真っ白であった。
スノウリの街は、街灯以外の明りは灯っておらず、人や車の通りも無くヒッソリとしていた。
さぁ、これからどうする?……。
どこへ行けばいいのかも分からず、呆然と立ち尽くしていると、向うの方からたまたまサイクルリクシャーが通りかかったので、とりあえず出国管理事務所まで連れて行ってもらった。
もうすでに夜中の0時過ぎ、さすがに今から国境を越えるのは無理なんじゃないのか?
しかし、サイクルリクシャーの兄ちゃんが事務所前で寝ていたおっちゃんの背中をバシッと叩いて強引に起しにかかると、「わぉ!!」と言わんばかりにおっちゃんが慌てて飛び起きた。
オラは一瞬「今何時だと思っているんだ!!」と叱られると思った。
でもそんな素振りも無く、陽気なおっちゃんは快く出国スタンプを押してくれた。
すげー、こんな夜中に国境越えができるなんて……。
僕ら3人は仲良く手を繋いで国境の門をくぐった。
その後、僕らは入国管理事務所を探したが暗闇過ぎて見つからない。
しばらく歩くと、僕らの泊まるゲストハウスを発見した。
僕らはいつの間にか入国していたのであった。
やったー。
やっと着いたよ~。
憔悴しきった僕らは、『スノウリゲストハウス』の看板の文字を見つけた瞬間、安堵のため息をついた。
真っ暗な建物の中に入り「ごめんくださーい!!」と言って、建物の中をうろちょろするが、なかなか誰も出てこない。
きっともう寝ているのだろう……。
しかし、諦めずに、声をかけていると、ようやく宿のスタッフが起きてきてくれた。
部屋は収容所のように汚かったが、無事に到着した嬉しさと僕らの今の汚れた格好を考えると、部屋の汚さなんてどうでもよかった。
翌朝、朝食を食べる前に宿のツアーデスクのオヤジにパスポートの入出国スタンプの確認をされた。
そういえば僕ら、入国手続きはしてないよなぁ?
ようちゃんが「エニープロブレム(ちょっとした問題)?」と聞くと、宿のツアーデスクのオヤジが「ビッグプロブレムだ(大問題だ)! すぐに行って来い!」と言って来た。
あちゃ~、宿に着いた嬉しさのあまり、すっかり入国手続きの事忘れていたよなぁ。
「よし、急ごう!」僕らは朝食を食べず入国管理事務所に向かった。
さすがに辺りが明るいのですぐに場所は確認できた。手続きを終わらせて走ってツアーデスクに戻った。
ハァ、ハァ、ハァ。
オヤジは平然とした態度でこう言った。「バスはもう、出たぞ!!」
唖然とする僕ら……。
オヤジはお金を払ってローカルバスで行きなさいと言う。
僕らがオヤジに文句を言っていると、近くにいたローカルバスの車掌さんが「お金を払わなくていいから早く乗りなさい」と優しく言ってくれた。
そしてまたまたローカルバスで移動になってしまった。
「こんなことなら高いお金を払ってツアー会社に頼むのもバカバカしいよなぁ!」僕らは、3人で愚痴を言いながらも、ネパールに入ったことを実感し、まわりの景色を堪能していた。
町や村の景色はインドとさほど変わらないものの、やはり遠くに見える山の景色や、エメラルドグリーンの川の色が、印象的であった。
高地に来たんだなぁと実感させられた。
ガタゴトとバスが揺れる中、車内のスピーカーから流れる音楽に耳を傾けると、ネパール独特の楽器を使った音楽が流れてくる。
その陽気で明るい曲に、大自然の元に生きる人達の雰囲気が想像できてきた。
そしてポカラには、ほぼ定刻どおりに到着することができた。
ポカラの街は、インドの様な喧噪な街の面影はなく、静かでゆったりとした湖畔の田舎町の雰囲気であった。
やっとみんなと合流できる!
僕らは3日ぶりの再会に胸を躍らせながらみんなの待つゲストハウスへ向かった。
僕らの泊まる『カルキゲストハウス』一人1泊160ルピー(約288円)は、ラジャさんが紹介してくれた宿で、レイクサイドの北にありシバ寺院の近くに位置していた。
部屋は綺麗で値段も安く、宿の主人のカルキさんの人柄も良さそうでいい感じの宿であった。
部屋に入った瞬間、ドア越しに立っていたアコちゃんの姿が見えた。
「あー、やっと会えた!」アコちゃんは僕らの姿を見ると突然、みんなに抱きついてきた。
ようちゃんは、すっかり元気になったことをアコちゃんに伝えた。
「でも今度は、みんなが病気やねん……。」アコちゃんは、急にしょぼくれた声で言った。
え~!?
ふと、部屋を見渡すとあけちゃん・ぷる君・ダイタは体調を壊してベッドに倒れていた。
しかも、それぞれのベッドには点滴がぶら下がり、病院のようだった。
どうやらお医者さんが定期的に往診してくれているみたいだ。
病気の3人は、自分達がそろいもそろって病気になったことを恥じてか、ベッドに横たわりながら苦笑いを浮かべていた。
「じゃぁ、3人はラフティング行かれへんやん……。」せっかくみんなで川下りを楽しもうと思っていたのでオラは残念に思った。
病気の原因は、インドでの食事だろうか? それともガンガーで泳いだせいだろうか……。
みんなは、インドの過酷さを改めて肌で痛感するのであった。
バスの後部座席で横になって寝ていたおっちゃんも3回は床に落ちていた。
ガタガタ揺れる中、一度でっかいバウンドがあった。
ドーン
座席の荷台に頭を打ちつけた。
みんな、50cm位は宙に舞ったであろう。
足が頭の上まで浮き上がり、ひっくり返った人もいた。
乗客が座席に着地した瞬間、ホコリが宙に舞い上がって目の前が真っ暗になるくらいだった。
案の定、後ろで寝ていたおっちゃんは座席と座席の間にマットレスと一緒に挟まっていた。
国境を越えるにはその国を出るための出国手続き、次の国に入るための入国手続きを行なわないといけない。
インドとネパールの国境の町スノウリのイミグレーションでは、夜中でも国境が開いていたのだった。