腕利きの職人を集め、延べ2万人が携わったという白大理石の建造物。
それは、夫から妻へ捧ぐ愛の記念碑なのだ。
敷地内はセキュリティーが超厳しく、まるで空港の税関の様だ。
入場料は、750ルピー(約2100円)。
インド人は1/10くらいの値段で入場できる。
タージマハール観光の巻
世界遺産のタージマハールを観光するため、僕らはニューデリー駅でアーグラー行きの鉄道チケットを買いに行った。
ニューデリーの外国人専用チケット売り場では、順番待ちをしていた親切な日本人が僕らにチケットの買い方を教えてくれた。
インドの鉄道は、すぐに満席になると言われたので、アーグラーの次の移動地までのチケットも、予約買いすることにした。
『ニューデリー』⇒『アーグラーカント』⇒『ニューデリー』⇒『バラナシ』のチケットをまとめて購入した。
翌朝、宿の従業員であるパプーが、電車の中は盗難が多いから気をつけなさいと言うので、みんなは駅にいるチェーン売りの親父から鍵と鎖を買い揃えた。
鎖でバックパックを車内の柱と繋いで固定するためである。
ニューデリー駅のホームで列車を待っていると、12~3歳の男の子が、あぐらを掻いて腰をかがめている姿が見えた。
不意にあけちゃんが、その少年の方に近づいて行ったかと思うと、「ワッ」と言って慌ててこちらに戻って来た。
どうしたのかと思い少年の方をよく見ると、片方の腕が15センチ程の範囲で腐っており、ただれて汁が噴出していた。
その傷口のまわりに無数のハエ達が群がっていたので、少年は傷口がこしょばくてしょうがないのだろうか、もう片方の指でちょんちょん突いていたのであった。
オラは思わず息を呑んでその光景をまじまじと眺めてしまった。
この少年は何故ここにひとりでしゃがみ込んでいるのだろう。
物乞いをする様子もなくただしゃがみ込んで傷口を眺めている。
観光客に近づけば気持ち悪がられるのでじっとしているだけなのだろうか……。
ふとまわりを見渡すと、同じように地ベタにしゃがみ込んでいる子どもや老人が、他にもいることに気づいた。
これがインドなのか……。
これからインドを歩き廻るたびに、何度もこのような光景を見て、衝撃を受けていくのだろうと覚悟をした。
ニューデリー駅を11時半に出発し、そこから約3時間でアーグラーカント駅に到着した。
その後、オートリクシャーで約10分、宿まで移動。僕らはタージマハールから歩いて3~4分の場所にある『サイパレスホテル』にチェックインをした。
1人1泊112・5ルピー(約315円)。
部屋も広いし、値段のわりに清潔だ。
サイパレスホテルは、3階建てのホテルで中が吹き抜けの庭になっているので風通しも良く、屋上からの眺めがとても素晴らしいと聞いていた。
早速、屋上へ繋がる階段を上ってみると、なんとタージマハールがドカーンッと建っているのが見えた。
特にこの日は、天気もよく青い空に真っ白なお城が浮かび上がって見えるので、青と白のコントラストの景色が鮮やかに目に写った。
「おぉー! すげー!」屋上に、仲間が一人ずつ上がってくるたびに歓声が聞えた。
宿の屋上にはテーブルと椅子が置いてある。
どうやらここで食事ができるようだ。
タージマハールを見ながら食事ができるなんて、なかなかナイスな宿だなぁ……。
夕方、旅行者から聞いていたお勧めのレストランに行ってみることにした。
なんとインドでは珍しくプルコギが食べられるというのだ。
サイパレスホテルから歩いてすぐの場所にあると聞いていたので、僕らはフラフラと街中を歩いた。
「へい、ジャパニーズ!!」相変わらず、街の人や、子ども達が馴れ馴れしく声をかけてくる。
野良牛が堂々と道の真ん中を我が物顔で歩いている。
そんな状況も僕らはだんだんと慣れ親しんでいくのであった。
いくつかのレストランの前を通っていると「プルコギ」と書いた日本語の看板が目に飛び込んできた。
おっと!! なんて分かりやすい看板なのだろう……。
僕らはお店の2階のテラスの席を陣取り、全員プルコギを頼むことにした。
1時間くらい料理が出てこなくてイライラしたが、ようやく待望のプルコギが僕らの前に現れた。
「いっただっきまーす!! ―― うめー!!」
「すげー!! これ牛使っているよね!?」
インドでは、牛肉は宗教上の理由で食べないものだと思っていたが、実はそうでもないのかなぁと思った。
次の日、朝一でタージマハールの内部に侵入することに。
タージマハールは近くで見れば見る程、ほんとに美しい建物であった。
靴を脱げば、タージマハールの中にも入れるみたいだ。
さすがは、王妃のために建てられたとあって、白大理石に細かい花の模様がいっぱいあり、とてもかわいかった。
タージマハールの敷地を出た後、オートリクシャーで裏のヤムナー河のほとりにも行ってみた。
自然の河原の風景とタージマハールがマッチして、なんだか心が癒される場所であった。
ラクダに乗った少年が突然僕らの前に現れ、「ラクダに乗らない!?」と日本語で声をかけてきた。
アコちゃんは、記念にラクダに乗った写真を撮りたいと言い出した。
あけちゃんも少し元気を取り戻したのか、ラクダに乗ると言った。
アコちゃんとあけちゃんは、河原をひと回りし、交代でラクダに乗ることになった。
それにしてもインドの子どもは、しっかりしているなぁ、とオラは思った。
わずか10歳にも満たない小さな少年が、ひとりで、外国人観光客を相手にしているのだ。
値段交渉なんか、子どもながらのあどけなさを出さずに、おとなの商売人の目線でしっかり対応してくるし、ラクダに乗るときは、アコちゃんがラクダから落ちないように、手の持つ位置なんかも説明していた。
大人なら当たり前にできることだろうが、普通の低学年の子どもが、そこまでできるだろうか?
彼らは、生きるために培ってきた商売人の知恵を自然に身に付けているのだと思った。
その後、少し時間があるので同じオートリクシャーで、ヤムナー河の橋を越えたところにある『イティマド・ウッダウラー廟』ミニタージマハールとも言われる白大理石の建造物を見に行った。
タージマハールが完成する20~30年ほど前のムガール時代の墓所である。
ミニタージマハール前の広場で縄跳びをするインドの学生達を発見。
あまりにも下手くそなので、縄跳びのお手本を披露するアコちゃんとあけちゃん。
そのうち、他の学生達もアコちゃんらの跳ぶ姿を見に集まってきた。
いつのまにか、彼女らのまわりには、大きな輪ができあがっていた。
そして現地の子ども達から拍手の嵐!
まるで、オリンピック選手が金メダルをとった時の様に、彼女達は達成感を感じ、お互い抱き合い喜びを分かち合っていた。
え~、二重飛びをしただけや~ん! とオラは思った。